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2011年7月 7日 (木)

米国の1929年大恐慌からの復活をもたらしたもの(米国の世紀)

米国が1929年の大恐慌から最終的に脱出したのは、第二次世界大戦によってであることは、誰もが知っている。第二次世界大戦は、ニューディールが果たせなかった経済の復興を成し遂げたのである。巨額の政府資金が軍需産業などに注ぎ込まれ経済に刺激を与えたのだ。

1939年に90億ドルだった政府予算は45年には1000億ドルになっていた。国民総生産も39年には910億ドルだったのが45年には2120億ドルに増えた。失業者も、41年には900万人いたが、43年初めには消滅していた。戦時下、1500万人の雇用が新たに生まれ、1000万人を超える兵士の動員があったのだ。好況がもたらされたのである。

人々の収入も増え、労働者の実質賃金は39年から45年までに27%上昇した。しかも、低所得者層の収入は高額所得者よりも大きな割合で増えた。戦争は、富の再分配に寄与したのだ。恐慌で苦しんでいた多くの労働者にとって「戦争は恵み」だった。ジョン・K・ガルブレイスは「戦争中、消費物資の消費量は倍増した。人間の紛争の歴史において、これほど犠牲について語られながら、実際には犠牲が払われなかったことはない」と語っている。

肉・ガソリンなど一部物資は配給になったが、食料も衣料も不足することはなかった。労働者の家庭でも生活必需品を購入してもまだ残金があり、流行の服や宝石、家具を買うことができた。デパートの個人の買い物額は戦争前一人あたり2ドルだったが、戦争中には10ドルになったという。消費ブームに沸いたのだ。

ところで、消費バブルはインフレの危機を招く。このことに対しては、1942年戦時生産本部とともに物価管理局を設置した。この物価管理局の活動によって戦時下の全体物価上昇が約30%以下に抑えられたのだ。価格の上限を設定して物価統制を行うと共に、42年ごろから不足気味の物資に配給制を導入した。久しぶりに訪れた好景気の下で物価の異常な上昇を抑えることに成功した。

政府は賃金の上昇を抑えるとともに増税と国債借入を実施した。戦時公債を7度にわたって行い、総額1350億ドルを調達した。しかし、第二次世界大戦期の特徴は、第一次大戦期の戦費が70%近く公債に依存していたのに対し、第二次大戦期はおよそ43%を歳入によって賄ったのだ。つまり、税金によって戦費を賄った。1940年、連邦所得税を負担した人口は、700万人に過ぎなかったが、45年時点では4260万人が負担していた。連邦政府は、累進課税率を増率するだけでなく、所得税負担の最低限度額を大幅に引き下げたのである。43年からは、勤労者所得に源泉徴収方式が導入された。税金による資金調達を実施できたことが大きい。

米国のインフレ率をみると、1940年を100として、1945年は128.6、28,6%上昇、1955年には191.4である。1945年を100にすると、1955年には148.9、48.9%上昇であった他の戦争当事国に比べ、圧倒的にインフレ率が低かった。このことが、戦後他の国が苦しむ中で、米国が経済覇権を握る大きな要因であったことは間違いない。

米国債発行残高と該当年米GDP比(億ドル)(年次、1945年~2009年)(2009年はQ1データ)
米国債発行残高と該当年米GDP比(億ドル)(年次、1945年~2009年)(2009年はQ1データ)

「流通残高」とは、年末に市場に出回っている米国債の総額。つまりアメリカ政府が国債発行という手段を用いて背負っている借金になる。単なる金額ベースではインフレ率や国力との兼ね合わせもあるので、別途取得した各年のGDPと比較し、その比率を算出したのが「流通残高GDP比」。

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