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2012年1月26日 (木)

アダム・スミスの自由貿易論は、世界連盟を前提にしている。(リストの批判より)-1

『自由競争は、人類の福祉を増進するうえで最も確かな手段である。』アダム・スミスに始まる自由主義経済思想の精神は、格差社会の拡大とさまざまな環境の制約が生じている現在、どのように解釈すべきか?そして、自由貿易協定という形で進展している自由貿易の潮流は、いかに推進していけばいいのか?この疑問に答えることが急務であろう。

このことについて、大きな手がかりを与えてくれるのが、ドイツ国民経済学派の始祖、フリードリッヒ・リストである。

リストは、ドイツ商業同盟の法律顧問として保護関税の創設に尽力していた頃、周りの大多数の自由貿易主義者、大商人の私利、英国の世論工作などによって荒いあざけりと非難を受けたという(*p6~7)。今日でも、民族主義者として評判が悪い。リストの論理と共に自由貿易論を検証することにする。

「アダム・スミスはいう。『各個人は、自己の利益を追求しながら、そのことによって必然的に社会の利益をも促進する。各個人は、地方の事情をいちばんよく知っているし、自分の業務に最大の注意をはらうから、どのようにして自分の資本を最も合目的的に使えばよいかについては、あきらかに政治家とか立法者とかよりもはるかによく判断することができる。人民にその資本をどう使うべきかという指図を与えようと企てる者は、たんにむだ骨をを折るだけではなく、ただ生産者だけが持っていてこういうむずかしい責務に耐えられると自分で思っている人々にはいささかも任せられないような権威をも、わたくしするものである。』ここからアダム・スミスは次のように結論する。すなわち、国内工業の助成のための貿易制限はつまらぬ愚行である。それぞれの国民にはそれぞれの個人と同様に、商品を、いちばん安く手に入れるところで買うことが許されなければならない。最高度の国民的福祉を達するためには、放置し放任するという原則を守りさえすればよい、と。(*p226)」

アダム・スミスはこう述べたが、人間の自由な経済活動は、大恐慌、貧富の差の拡大、金融危機、そして戦争と、世界にとてつもない悲劇と混乱をもたらしてきた。現在も、欧州共同体(EU)の財政危機が世界を震撼とさせている。アダム・スミスほどの知性が、人間社会の生々しい現実を見通していなかったわけがない。それなのに、なぜ自由主義経済思想を展開したのか。

アダム・スミスの伝記作家デューガルド・ステュアートがアダム・スミスの自由主義経済思想の原点を語っている。スミスは「国富論」出版の21年前の1755年、ある文芸協会で自由貿易という思想の優越性を以下のように述べたという。「人間はふつう政治家や策謀家から一種の政治的細工の材料だとみなされる。自然はその究極目的を達成するためには、ただそれ自身にまかせられ、自由に活動させられていればよいのに、策謀家は人間の諸事件へ自然が作用する場合にそれを妨げる。国家を最低の未開状態から富裕の最高の段階に高めるためには、ただ平和と適度の租税と正しい司法とが必要なだけである。この自然の成り行きにさからったり、資本を別の水路へ導いたり、あるいは社会の進歩の動きを阻止したりしようとする政府はみな、自然に反して行動するのであって、みずからを維持しようとして圧倒的、専制的になる。(*p401~402)」こう語ったという。

ここに、アダム・スミスの自由主義経済思想の原点があるようだ。あるべき人間の姿を前提として理論を構築していると言えばいいであろう。そこに描かれている人間像は、「良心の判断」のできる人間によって構成されている社会である。、自分の感情や行為の適切性を測る基準として、胸中に「公平な観察者」を持ち、その是認・否認に従って他人の感情や行為を判断できる人間像である。このような前提で経済活動が「フェアな精神」で進められる、人類社会の理想の姿を描こうとしたのである。言い換えると、《永久平和の人類社会の成立》を前提とした思想なのである。人間の利己心や自愛心は、良心の判断のもとに制御されなければならないし、通常は制御されるはずであると述べている。アダム・スミスは、このような前提のもとに自由競争を提唱しているのである。

この前提をよくわきまえないと、アダム・スミスの理論はその本質を理解できない。そしてこのことを喝破したのが、フリードリッヒ・リストなのである。「永久平和を支えるものとしての世界連合ないしあらゆる国民の連盟を前提するならば、国際貿易の自由という原理は完全に是認されるように思われる。各個人がその福祉目的の追求にあたって拘束を受けることが少なければ少ないほど、この個人と自由に交易を行う人々の数と富とが大きければ大きいほど、この個人一人一人の活動が広がりうる範囲が大きければ大きいほど、それだけ彼は、天与の特性、獲得した知識と熟練、自由に使える自然の福祉の増進に役立てる事が容易になるであろう。個人の場合のこの様な事情は、市町村や州や国の場合でも同じである。・・・・イングランドとスコットランド、アイルランド三王国の合併は、結合した諸国民のあいだの自由貿易が計り知れぬ効果を持つことの否定しがたい大きな実例を世界に与えている。(*p186~187)」

自由貿易論者は、やがて成立するはずの状態を現実に存在しているとみなして、世界連合と永久平和との存在を前提し、そこから自由貿易が大きい利益をもたらすという結論を引き出しているのである。自由貿易の思想は、経済発展の純粋理論であるといえばいいであろう。

(引用文献*:フリードリッヒ・リスト著小林昇訳「経済学の国民的体系」岩波書店1970)

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