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2012年1月26日 (木)

リストの批判から170年-世界は真の世界連盟創設の時を迎えている。

人間社会は、二重の観点から見ることができる-すなわち全人類を眼中におく世界主義的観点のもとでと特別な国民的利益や国民的状態を顧慮する政治的観点のもとであるー。言い換えると、理想純粋経済理論と現実経済理論である。

リストがこう喝破したことにより、経済学と自由貿易論はすっきりしたものになった。

ケネーが夢見てアダム・スミスがつくりあげた支配的な理論は、もっぱら未来の、いや最も遠い未来の世界主義的理念である。世界連合と国際貿易の絶対的自由とを、現在すでに実現できるものだと思っている。・・・どこまでも世界主義的で人間の総体の幸福にだけ目を向け、一国の国民と国民の幸福とは考えず、政策を忌避し、経験と実践とをいやらしい老練さだと言明する(*p46)」。このリストの言葉によって、現在世界の主流となっている純粋経済理論は、そのよって立つ位置を明確にすることができた。と同時に、内包する現実の諸問題を分析する視角を明確にした。このことは、国際的な自由貿易という代物が国民経済学と衝突する運命にあることをあきらかにした。経済論理が異なるのである。

自由貿易は、国内取引の自由と国際貿易の自由との区別をせずに一般受けしているが、それにもかかわらず、この両者は本質と作用とから互いに天地の差を持っている。国内取引の制限は、個人の自由と矛盾しないことはめったにないのに、国際貿易の場合には最高度の個人的自由が最高度の制限と両立できるからである。それのみではない。国際貿易の最高度の自由が国民的隷属を結果することさえある。(*p77)」

このことを混同するが故に、多くのあつれきを引き起こしている。

イギリスの国民のようにその工業力が他のあらゆる国民を大きく凌駕してしまった国民は、その工業・貿易上の支配権をできるかぎり自由な貿易によって最もよく維持し拡大する。この国民の場合には、世界主義的原理と政治的原理とはぴったり同じものであり(*p62)、往々にして大国主導の自由貿易となる。隷属させた自由貿易が、世界主義的原理の下で構築されるのである。現在の自由貿易も、その傾向が強いことは衆目が一致するところであろう。

もちろんアダム・スミスも、完全な自由貿易を主張してはいない。過渡的措置として保護主義・保護関税を認めている。国内工業の保護として、①他国民が輸出を制限しており、しかも報復処置によってこの他国民にその制限を撤回させることができる場合、②国防の目的が必要とする工業上の必需品が自由競争を行っては国内で生産されえない場合、③対等化の手段として、外国の生産物が国内の生産物よりもわずかしか課税されていないような場合(*p372)である。しかしアダム・スミスの見解は、理論の現実への適用においてなされたものにすぎない。

リストは、探求を重ねた結果、「あらゆる国民が互いに自由貿易の原理に従うとして、およそそうするのが真理なのは、それが国内諸州相互で自由貿易の原理に従うと同様であるようなときにかぎられる。(中略)文化の点で大いに進んだ二国民の間で、自由貿易はこの両者がほぼ同じ工業的発達の状態にあるときにしか有益に作用しないということ、また(産業発展が)大いに遅れている国民は、・・・なによりもまず自分で努力して、もっと進んだ諸国民と自由競争をおこなうことができるようにならなければならない、ということがあきらかになった」と、緒言(*p2)で研究の集大成を述べている。ここに、自由貿易を推進する原点がある。

このことによってあきらかになることは、国内の取引において公平な審判として政府が存在しているように、国際取引においてもそのような審判なくしては成立しないということであり、自由な国内取引による弊害が生じた場合政府による救済措置がとられるように、国際取引の場合も救済措置がとられる状況にないと正常に機能しないということである。

現在のグローバル経済は、この点において大きな課題をもっている。EUの財政危機も、一国の問題、ユーロという共通通貨の問題だけでなく、自由貿易(取引)の行き過ぎを止め、弊害が生じた国への救済措置を創設することが不可欠であることを示している。この意味で、勝者は敗者を救済する義務を負うという原則のもとに、参加者全員が自発的に委ねる審判となる連盟の創設が急務であることがわかる。有意義な自由貿易は、世界連盟を視野に入れることなくしては創出されず、また、大国の私利私欲に振り回されて自由貿易を推進すれば混乱を撒き散らされ、悪くすれば世界経済自体を破壊しかねない。神の見えざる手が市場の均衡を守るという自由主義者の見解は、人類の滅亡の危機という均衡をも是認したものであることを忘れてはいけない。(それも神の見えざる手によるというのであろうか。もっとも、人間がその状態に耐えられるのであれば、自由放任も由となるが。)

このような機構が整備されない状態では、自由貿易は大国の利益に振り回され、大国に従属することになる。この状態は人類歴史が経験してきたことであるが、決して幸福な状態ではない。

経済の信用収縮が大恐慌をもたらし戦争につながった。だから、各国が保護主義政策に舵を取らないようにすることが肝心であると語られる。しかし、問題はそれ以前にある。無謀で、相手のことを顧みない自由貿易の拡大が経済の信用拡大を起こして、国家間格差・地域間格差を限界以上に拡大したのである。リストが「戦争が近頃の保護制度を呼び起こした(*p245)」と指摘するのも、国民経済の観点からはあたりまえのことである。

繁栄は自由から生まれ、隷属からは生まれない」。この命題は普遍である。しかし、人間の勝手な自由を由とするものではない。人間の自由とは、人間が置かれた姿・位置を自覚して、全体の目的と合致することにおいての自由である。人類の永続性、地球の永続性、人類相互の共存共栄を前提にしない自由はエゴであり、悪である。二宮尊徳が、「道徳なき経済は悪である」と語ったのも、社会の中で立つ位置を忘れた自由主義経済は、決して繁栄をもたらすものではなく、破滅に導くことをよく理解していたからである。近代という時代は、自由の中にある善悪をわきまえずに自由をふりまわしたが故に多くの悲劇を生み出したのであり、そして現在も多くの人類が苦しんでいるのである。自由は、人類を大きな希望の地へ導くものであるが、人類の福祉という大前提なくしての自由は存在しないことをよくわきまえないといけない。

(引用文献*:フリードリッヒ・リスト著小林昇訳「経済学の国民的体系」岩波書店1970)

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