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2012年1月26日 (木)

現実経済理論としての国民経済学(リストの批判より)ー2

しかし、歴史の現実が示す実例はみな、政治上の結合が先行して貿易上の結合がそれにつづくというものばかりである。「自由貿易から生まれるものは世界共和国ではなくて、支配的な工業・貿易・海軍国の至上権におさえられた後進諸国民を世界的隷属におく(*p190)」ものばかりであった。そして、そのあつれきが多くの対立、抗争、戦争を巻き起こした。他の国民が人類の相対的利益を自分の国民的利益に従属させている限り、さまざまな国民の個人たちのあいだの自由競争を論じることはばかげた話であるし、このことを無視して自由貿易を論じることは論理の倒錯である。

現実の歴史を見つめた若き青年マルビッツは、スミスの理論をこう評したという。「スミスの教えは気楽なものです。なぜなら、彼はあらゆる思想から離れ、人間生活の他のあらゆる方向から別れて、普遍的な、すべての国民とすべての状況とにひとしく適合する商業国家というものを構想するのであり、・・・・人々にその欲するままにふるまわせるということに尽きるからです。彼の観点は個人的利益の観点であって、国家にとってはもっと高い観点がなければならないということや、国家はこのもっと高い観点から、卑俗な享楽だけを求める人々の望むところとはまったく別の方向を物質的な職業にも与えるべきであるということに、彼は気がついていません(アレキサンダー・マルビッツ)(*p33)」と。

しかしリストは、一方でアダム・スミスの偉大な功績を否定してはいない。以前にはまったく闇の中に横たわっていた経済に、分析的方法を取り入れ経済の科学を可能にしたと評価している。このことは、アダム・スミスの非凡さのなせる業である。

リストは、アダム・スミスが提唱した自由貿易主義について、三つの大きな欠陥があると指摘する。「第一は、土台のない世界主義であって、これは国民国家の性質を認めもせず、その利益をみたすことも考慮しない。第二は、死んだ物質主義であって、これは物の交換価値に注目を集めてばかりいて、国民の精神的および政治的利益、現在および将来の利益、さらにその生産諸力を考慮しない。第三は、分離主義及び個人主義であって、社会的労働の性質と高次の結果をもたらす諸力の結合の作用とを見誤って、私的産業のことだけ述べ、それが社会との、すなわち特殊の国民的諸集団に分かれていないという場合での全人類との、自由な取引によってどのように発展するかを取り扱っている、(*p237)」と。

しかし、個人と人類との間には、特有の宗教と学芸を持ち、固有の由来と歴史を持ち、特有の習俗、習慣、法律、制度を持ち、存在、独立、進歩、永続に対する要求を持ち、区画された領土を持つ、国民が存在している(*p237)。」そして諸国民の間には多くの差異がある。世界は国によって分断されており、多くの諸集団・団体があり、完全な自由な取引も、完全な自由な精神も存在していない。そして、歴史上多くの対立、抗争、戦争があった。多くの対立は、保護主義を正当化する。それゆえ、純粋経済理論だけでなく現実経済理論として国民経済学の存在意義がある。

リストは、経済学は哲学(理論)と政策(実践)と歴史の上に立脚すると述べる。「哲学(理論)は、諸国民相互のますます強い接近、戦争の全力的な回避、国際的に法が支配する状態の樹立と発展、現在国際法と呼ばれるものから国家連合法への移行、精神上及び物質上の国際交流の自由。最後に、法規のもとでの全人類の結合-すなわち世界連合-を要求する。

これに対して、政策(実践)は国民の独立と存続とに対する保障、その文化と幸福と勢力との発達を促進するための、また、それがあらゆる部分に向かって十分かつ調和的に発展しつつ完備し独立した国家の一つを成すような社会状態を形成するための特別な方策を要求する。

そして、歴史は、どんな時代にも人間の物質的・精神的幸福はその政治的統一と商業的統一との拡大に比例して増大してものであることを教える。しかし歴史はまた現在と国民国家との要求をも是認して、みずからの固有の文化と勢力との促進に特別の留意しなかった国民が滅亡していることや、先進諸国民とのまったく無制限な交易はどんな民族にとってもその発展の初期の段階ではたしかに有益だったが、同時にどんな国民も、その国際貿易をある程度制限することによってのみさらに高度の発達をとげて他の諸先進国民国家と並びうる点にまで到達したのだという事情を教える。(*p46)」歴史は、哲学と政策の介在役をすることになる。

そして、リストはこう述べる。「現在のところでは、国民国家の維持と発達と改善とが国民の努力の主な対象であるし、またそうでなければならない。(中略)それはおのずから、制定法のもとでの諸国民の究極的統一すなわち世界連合を成立させるからであって、しかもこの世界連合は、多くの国民が同等の段階の文化と勢力とに到達してその結果世界連合が連盟という方法で実現されるときにはじめて、人類の幸福に役立つことができるのである。(*p54)」歴史の中で、現実経済理論としての国民経済学も、世界連盟が成立するまで存立理由があるのである。

(引用文献*:フリードリッヒ・リスト著小林昇訳「経済学の国民的体系」岩波書店1970)

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