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2016年5月

2016年5月30日 (月)

人類歴史に残る演説となったオバマ大統領の広島での演説

オバマ大統領は、2016年5月27日米国大統領として初めて被爆地広島を訪れ、広島平和記念公園で人類歴史の残るであろう感動的な演説を行った。とてもすばらしいすべての人の魂に訴えかける演説だった。オバマ大統領は、米国を含む核保有国は『核兵器なき世界』を目指す勇気を持たなければならない」と、核廃絶への決意を訴えたが、言葉だけでなくその場を一つにしたことの意義は大きい。
 
オバマ大統領の核廃絶に対する取り組みは、2009年1月の大統領就任直後からずっと続いている。
2009年4月5日米国とEUの初の首脳会議のためプラハを訪れたオバマ大統領は、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的責任があるとして、米国が先頭に立ち、核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意を明言した。このプラハ演説の決意は、2010年4月8日、オバマとロシアのメドヴェージェフ大統領との間で、戦略核弾頭の配備数を1550に制限する新戦略兵器削減条約の調印となり、2011年2月5日に発効という形で実を結んだ。
今回の広島訪問は、オバマ大統領の核廃絶に対する取り組みの仕上げである。
 
オバマ大統領の演説は、「71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手に入れたことを示した」から始まり、「世界文明の歴史は穀物不足や黄金への欲望、民族主義や宗教的熱意といった理由で、戦争に満ちている。帝国は台頭し、衰退した。人々は支配されたり解放されたりしてきた。節目節目で苦しんできたのは罪の無い人々であり、数え切れない彼らの名前は時とともに忘れ去られてきた。(中略)しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、人類が持つ矛盾を強く思い起こさせる。我々を人類たらしめる思考、言語、道具を作る能力、我々を自然と区別し自然を、自らの意志に従わせる能力は、大きな破壊的な力をも生み出した。
科学の進歩に見合うだけ人類社会に進歩がなければ破壊が訪れる。原子核の分裂を可能にした科学の進化と同様、道徳の進化も求められている。だから我々はこの場所を訪れる。広島の真中に立ち、原爆が落とされた時に思いをはせる。目の前の光景に子供たちが味わった恐怖を感じる。歴史を真っすぐに見つめ、再び苦しみを生まないために何を変えなければいけないのかを問う共通の責任がある。
我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論から逃れ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない」、と述べる。
 
オバマ大統領の演説が人類歴史に残るものとして評価するのは、人類歴史に絶え間なく起きてきた戦争を避けられないものとして客観的に見つめるのではなく、科学の進化と同様、人類の道徳の進化こそ必要であることに言及したことである。道徳の進化こそが、戦争という行為を過去の遺物にすることができる唯一の方法である。そして同じ人類として、互いのつながりを考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだと述べる。そして、我々全員は人類という一つの家族の一員だと語る。ここに重要な理念が語られている。私たち現代人は、道徳の進化を実現して、人類が一つの家族であるという価値観を共有しなければならない時代圏を迎えていることを宣言したのである。世界の新しい夜明けの思想であり理念を示したのである。
あたりまえの言葉と思われるかもしれないが、理念は人類歴史を動かす力を秘めていることを忘れてはならない。このあたりまえのことをないがしろにしているがために世界は紛争に満ちているのだから。
オバマ大統領の広島での演説は、かつてこのブログでも取り上げた古代ローマのクラウディウス帝の演説のように、後世評価される演説となるであろう。古代ローマが混迷を深め、退廃を極めていた西暦48年、クラウディウス帝が行った元老院演説(これは後世の歴史家から「ローマ文明が人類に残した教訓の一つ」と称賛したものである)がある。この演説は、ローマが如何に帝国として発展したかの心髄を表現しているといわれている。クラウディウス帝の演説がローマを一つにしたように、オバマ大統領の広島演説は今後の世界を一つにする演説である。
ブログ「日本の未来を照らす3つの指針・・・④日本の融和精神が世界を一つにする鍵となる」(2009/7/29)
 
 
「我々は戦争そのものへの考え方を変えなければならない。外交の力で紛争を防ぎ、紛争が起きたら終わらせようと努力すべきだ。国と国が相互依存関係を深めるのは、暴力的な戦争のためではない。軍事力によってではなく、何を築き上げるかで国家を評価すべきだそして何よりも増して、同じ人類として、互いのつながりを再び考えるべきだ。それが、人間が人間たるゆえんだ。
私の国の物語はシンプルな言葉で始まる。「すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている。(中略)我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な観念を語っていかなければならない。我々は、その物語を語るために広島に来る。
広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」、と結んでいる。

2016年5月22日 (日)

【報道】「ハーバード大学が世界各国でSTAP細胞の特許出願、今後20年間権利独占も」より

小保方晴子氏のSTAP細胞騒動から2年、STAP細胞は存在しないものとされた。理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定されている。その後日本では、STAP細胞そのものが存在しないという認識が社会的常識になるなか、米国ハーバード大学では粛々と世界各国で特許出願を進めているというのである。
 
ハーバード大学といえば、小保方晴子氏が短期留学した元チャールズ・バカンティ医学大学院教授が在籍していた大学である。バカンティ氏は、STAP細胞研究について理化学研究所内で研究をあまりオープンにしないことを要求するとともに特許出願を急がせたともいわれている。小保方氏の研究論文に疑義が発覚して理研の調査で不正が認定されても、筆頭著者の小保方晴子とともに論文撤回に反対したことは、記憶にある方も多いであろう。
 
このような情勢の中で、ハーバード大学はSTAP細胞に関する特許を出願し続けているというのである。Business Journal(2016/5/21)が伝えている。http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html
 
米ハーバード大学附属ブリガムアンドウィメンズホスピタルが、STAP細胞の作成方法に関する特許出願を、日本、米国、EPO(欧州特許庁)、カナダ、オーストラリアなど世界各地で行っており、更新料、維持料が支払われている。これについて5月9日、弁理士でITコンサルタントの栗原潔氏は、同大学が日本国内でも特許出願に関して実体審査請求をしていることを明らかにした。出願審査請求は4月22日に提出されている。
 
これまで理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定された。しかしハーバード大は日本の「STAP細胞は存在しない」という大合唱を他所に、粛々と特許の申請を進めていた。小保方晴子氏の代理人である三木秀夫弁護士は語る。「ハーバード大は世界各国での特許申請にかかる費用や維持に、推測で1000万円程度の費用がかかっているようです」

ハーバード大が特許を申請する研究内容の範囲は広く、細胞にストレスを与えて多能性が生じる方法のメカニズムに対する特許請求である。STAP細胞論文での小保方氏の実験担当部分「アーティクル」のプロトコルは「オレンジジュース程の酸性の液に細胞を浸すと細胞が初期化する」が有名だが、それ以外に細胞にストレスを与えるさまざまな方法が試されており、「アーティクル」でその成果を報告している。これは理研がSTAP細胞論文を発表した当初の「報道発表資料」にも明示してある。

再生医療での実用化

ハーバード大がSTAP現象の特許を出願し、その審査要求をするのは当然、再生医療での実用化を睨んでのことだとみられる。 そして「人工的な外的刺激で体細胞が初期化するのではないか」というアイデアを思いついた小保方氏は再生医療の新たな扉を開いたことになる。特許は認定されると、出願後20年間の工業的独占権を認められる。

実体審査では申請された特許の内容が特許の要件を満たしているか、その内容の記述的専門家である審査官が行う。この実験が特許の取得が前提であれば、共同で行った発明や実験の知的財産権を侵害する恐れがあるため、小保方氏によるハーバード大での共同実験部分のノートやデータを、理研や早稲田大学の博士論文不正調査に提出できなかっ たのは当然だろう。

再生医療での実用化ハーバード大は特許に「STAP」という言葉を使うかは不明だが、一度は英科学誌「ネイチャー」で報告された「STAP」(刺激惹起性多能性獲得細胞)という概念を再生医療に転嫁できれば、小保方氏のアイデアは生物学の歴史のなかで燦然と輝くことになるだろう。体細胞の初期化から始まる再生医療の未来の扉は開いたばかりなのだ。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)

2016年5月17日 (火)

タックスヘイブン問題の核心は、米国にある。

「パナマ文書」でタックスヘイブンに厳しい目が注がれる中、汚職の根絶を目指す国際会議「反腐敗サミット」が5月12日ロンドンで開かれた。11カ国の首脳、米ケリー国務長官ら約40カ国、世界銀行、経済協力開発機構(OECD)、国際通貨基金(IMF)の代表が出席し、タックスヘイブンの透明性を高めるため、登記された企業の実質的な所有者の情報を、税務当局などが閲覧できるようにすることや、国外に持ち出された不正な資金を元の国に戻すための取り組みなどで各国が協力していくことなどが確認された。いい方向に議論が進んでいるかのように思われるかもしれないが、問題の本質がないがしろにされているようだ。
 
パナマ文書問題が表面化した時、ロシアから中国、英国、アイスランドまで、多数の政府要人や富豪がこぞってあげられているのに、米国の著名人たちの名前はほとんど挙がっていないことが不思議だった。実は、米国民にとって何も資産隠しや匿名で会社を設立するために外国に行く必要はない。国内で可能なのだ。デラウェア州やワイオミング州では、わずか数百ドルの資金でペーパーカンパニーを設立できるのだという。
 
米国は、2010年に「FATCA(ファトカ/Foreign Account Tax Compliance Act=外国口座税務コンプライアンス法)」を制定し、世界のすべての金融機関に対し、米国居住者・米国籍保有者・永住権保有者の口座情報をすべて提供するよう義務付けた。従わなければ米国で発生した所得や資産の売却代金に3割の源泉税を課し、場合によっては営業停止処分や莫大な罰金も科すという法律を制定した。この法律に基づいて、米市民の脱税やマネーロンダリングに加担したとして、09年にはUBSに7億8000万ドル、12年にはHSBCに19億ドル、14年にはクレディ・スイスに28億1500万ドル(約3097億円)、15年にはコメルツ銀行に14億5000万ドルという巨額の罰金を科した。
こうして制度を整備してきたのだから、米国は税金逃れに対して厳しく対処していると思いがちである。しかし実のところは、国内にタックスヘイブンをたくさん抱えていて、国外のタックスヘイブンに頼る必要があまりないのだ。
 
在英国際ジャーナリストの木村正人氏の報告によると、「世界最大の巨大タックスヘイブンは米国である」という。http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20160513-00057642/
 
今回、英国は、主要20カ国・地域(G20)の中で初めて、タックスヘイブンに設立されたペーパー会社の本当の所有者を登記して公開する公的な枠組みをスタートさせる方針を示した。また、「反腐敗サミット」に合わせて、英国の不動産を購入したり、保有したりしているオフショアのペーパー会社や海外会社は新しく登記して所有者を明らかにする義務を課すことも表明した。
 
国際金融都市ロンドンは、英領バージン諸島やケイマン諸島、チャンネル諸島、マン島などオフショアのタックスヘイブンと密接につながっていて、世界のオフショア活動の4分の1から3分の1を占めるこうした島々は「英国第2の帝国」と呼ばれているほど、金融上密接な関係にある。英国の方針表明は、新しい流れを作るかのように思われるかもしれない。
 
しかし、タックスへイブンの一つ、マン島の首席大臣アラン・ベルが会議のなかで、「米国こそ主要な秘匿性の高い管轄権でありタックスヘイブンだ」「規制が緩い米デラウェア州では1つのビルにマン島の10倍近い会社が登録している」と批判したように、米国がこの問題の核心を握っているのである。金融センターに集まっている富は、米国が45兆ドルで、2番目の英国が10兆ドル、3番目がスイスで5兆ドルと、米国がダントツである。この米国のタックスヘイブン問題が抜け落ちていることを忘れてはいけない。

米国の多くの州では、ペーパー会社を設立する時、運転免許証やパスポートのようなIDを提示したり、会社サービス提供者も本当の会社の所有者の情報を証明したりする必要がない。本当の所有者は名前や住所、電話番号を求められるかもしれないが、追加料金を支払えば、会社サービス提供者は名義人を使うことができるという。

米国のサウスダコタ州、ワイオミング州、ネバダ州、デラウェア州は世界最大のタックスヘイブンと化している。オバマ米政権はペーパー会社の透明性を高めるルールを導入するとともに新たな提案を行ったが、依然として名義人を使ってペーパー会社の本当の所有者を隠すことができる。 独紙フランクフルター・アルゲマイネによると、国際NGO「タックス・ジャスティス・ネットワーク」の調査では、米国はペーパー会社の本当の所有者を公開することや各国の税務当局と自動的に銀行口座のデータを共有することに反対しています。米国の50州のうち14州では今でも、所有者や責任者を明らかにしないまま会社を起こすことができるという。(木村正人)

米国の強欲資本主義は今も健在のようである。

 

2016年5月13日 (金)

日本人は資本主義が嫌い?日本人が願う社会は、共存共栄共生社会である。

2014年10月26日のブログで、「経済の時代から生活の時代へ(1)日本人は資本主義が嫌い?(2)日本は新しい時代に踏み出している」で、米国の有名な世論調査機関であるピュー・リサーチセンターが2014年春行った自由市場に関する調査を紹介した。主要先進国のうち、自由市場を支持している人の割合がもっとも高かったのはドイツで、73%の人が自由市場を支持。ついで米国が70%、英国が65%という結果であったという。この3カ国は、自由競争主義を標榜して高い国際競争力を有しているので、妥当な結果といっていいかもしれない。(同センターは米国の世論調査では非常に有名な組織で、その結果は米国社会に大きな影響を与えている。)一方、日本は自由市場を支持するという人はわずかに47%、自由市場を否定する人の方が上回っているという。主要国の中で支持するが50%を切っているのは日本だけである、という内容である。
 
政府は環太平洋経済連携協定〔TPP〕交渉を進め、経済の自由化を推進して経済成長を推し進めようとしているのに、国民の意識は違う方向を指向していて一体どうなっているのか、と世界の人は感じたのではなかろうか。日本人の意識の根底には、明治時代以降の自由競争という思想にもろ手を挙げて賛同するという観念が存在しない。西欧列強に伍していくために取り入れたのが明治時代の制度だった。もろ手をあげて賛同したわけではない。
 
江戸時代、日本の村は共に生きていく共同体であった。お互いが助け合って生きていくのがその姿であった。領主は、村と離れた城下町に居住していて、指令は文書で村役人に渡されていた。農民の土地の売買・質入れに際してさえ、村が公証し村が承認していた。質地請戻し慣行(土地を質入して流れてしまっても、元金を返済すれば取り戻せる)という慣行も行われていた。この慣行は、領主の御法にたいして村法・郷例だと意識されており、これに背くものは周囲から私欲と非難された。<2011/2/6ブログ「江戸時代の農地売買-質地請戻し慣行について(土地所有権考)」参照>
 
商品経済が広がってきて貧富の差が拡大して没落する農民が多くなり農村は荒廃してくると、多くの有識者が地域の再興に取り組んだ。二宮尊徳の「道徳のない経済は悪であり、経済のない道徳は寝言である」という言葉にみられるように、自由競争は必ずしも幸福をもたらさないことをよくわきまえていた。近江商人の売り手よし・買い手よし・世間よしという「三方よし」の精神も、関係するみんなが納得して初めて続いていくということを教訓として教えている。勝者の背後には敗者がいるということを、そして日本という島国の中では勝者も敗者もともに共存して生活していく同胞である、ということをわきまえているのである。勝ち逃げはないのである。「勝ち逃げは共に亡ぶ」というのが日本人の道徳観である。
 
日本型経営といわれる日本独特の資本主義が生れたのも、1920年代の長期にわたるデフレ不況によって失業が増加し他方賃金が低下し続けるなか、農村も窮乏し労働争議が頻発した時、企業が自社の労働者を労働運動から切り離そうとして、年功序列賃金制度や終身雇用制といった制度を取り入れたことに始まる。日本型経営経営(家族主義)は、経営者も労働者も一つの会社という家族であり運命共同体であるという意識を植え付け育んだ。この精神は、日本人の心情にしっくりとするものであった。それゆえ、この精神は日本の企業の発展に多大な貢献をしたのだった。
 
日本人は、この20年間経済が停滞し国民の所得が減少し、なおかつ労働者が正社員と臨時雇用者に分断されて格差が広がり、高齢化に伴う年金医療費の負担、少子化に伴う経済の縮小、人口減少による活力の衰退、地方の衰退という忍びがたい苦痛を感じてきた。この苦痛を踏み台にして日本人は、伝統的に育んできた「共存共栄共生」の持続性ある平和な社会創造の精神を発現していくべきであろう。
 
≪産業化の始まりを担った国(英国)と産業化の終わりを担う国(日本)≫
私は、産業化(工業化)の始まりが英国であり、産業化(工業化)の定着を実現するのが日本であると主張している。日本は、地球上にばらまいた産業化の遺産(環境負荷も含めて)を地球上で持続性あるものに秩序づけする役割をもっていると考えている。
外国生活から戻った日本人がほとんど全員、いや外国人でさえも、世界で一番生活しやすい国であるという感想を述べる。現代日本は、気づかないうちに人々が手を携える相互扶助・共生社会を作り始めているようである。この目に見えない雰囲気が、伝播して新しい時代を告げるのではないだろうか。日本人は、生活の豊かさと安定・持続性という新時代の価値観をを創造しようとしているように感じる。
産業化が始まった頃のイギリスも、時代を先取りした雰囲気に満ちていた。

1730年ごろイギリスを訪れたポルトガルの商人ゴンザレスは、「大ブリテン旅行記」の中で、イギリスを富ませている条件として次のような記述を残している。

1、イギリスは偉大にして富裕なそして強力な王国である。
2、イギリスを富ませるもう一つのこと、すなわち、良心の自由である。それは全ての国民に許容されているので、多くの外国人の自由が認められていないスペインその他の国よりも、むしろイギリスに来て商売する方がいいと考えるようになる。
3、財産や貨物の所有権が確保されているから、努力の結果である家屋敷の類が子どもに継承される。領主に没収されることはない。
4、10ポンド以上の現金を国外に帯出することを禁じているが、これもイギリスの国富を増すのに大いに役立っている。

富の所有が保証され、自由な富の交換がなされていることに感嘆している。

 そこには、産業革命と資本主義に必要な精神を育み蓄積しつつあったイギリスがあった。そして今、日本は新しい時代の精神を育みつつあるのではないだろうか。

2016年5月 7日 (土)

【報道】「完全な自動運転車実現に向けての突破口が見えてきた」の内容にびっくり

運転者のいない完全な自動運転車の実現に向けて、ルールづくりの突破口が見えてきた。道路交通に関する条約の柔軟な解釈が国際会議で固まり、運転者なしで車外から遠隔操作する行動実験の環境が前進したのだそうだ。その経緯を知り、とてもびっくりした。≪運転手は車の中にいなくてもいい≫、コロンブスの卵のような解釈が状況を急変させたのだという。
 
日本経済新聞が2015年5月2日の記事「自動運転車 公道へ一歩」でその経緯を追っている。
 
日本が加盟する「ジュネーブ条約」は人が車をコントロールすることを求めており、日本の道路交通法も運転者なしの自動運転を想定していない。だが、同じ条約に加盟しているフィンランドでは政府が車中に運転者がいない自動運転を認めている。ギリシャも昨年秋、街中での実証実験を始めた。この背景を明治大学の中山幸二教授が、「ギリシャなどは条約の文言を自己流に解釈し可能にした」のだといわれる。「運転手は必須でも車中にいる必要はない」と解釈し、緊急時のブレーキ操作などは車外から遠隔操作するという実験を始めているのだそうだ。
ジュネーブ条約は、1949年に制定されたもので、「車には運転者がいなければならない」と定めるが、運転者が車中にいる必要があるかは明確に定めていない。独自の解釈で実験を始める国が出るなか、自動車の世界標準を作る国連の欧州経済委員会(ECE)の作業部会が今年4月1日までジュネーブで開かれ、条約の対応が話し合われた。この会議で、「運転者は車中にいるかどうかにかかわらず、車をコントロールすればよい」との合意に達し、遠隔操作での自動運転に踏み出すことに条約解釈上のお墨付きが得られたのだそうだ。
今後、遠隔操作の安全基準や一人が複数車を遠隔操作することを許容するかなど、決めなければならないことは多いという。
日本のロボットタクシーの会社(ディー・エヌ・エーとロボット開発ベンチャーZMPの共同出資)には、我が国で思う存分実験してビジネスを始めないかという誘致の話がシンガポール、フィンランドなど多数舞い込んでいるという。
 
自動運転は、今後どのように進展していくのであろうか。私たちの安全と利便性に直接関わることだけに目が離せない。
 
自動運転のレベル
≪レベル1≫システムがハンドル、加減速などのいずれかを制御する。自動ブレーキ、車間距離の維持、車線の維持(実用化済み)
≪レベル2≫複数の操作を一度にシステムが行う。自動追い越し、自動合流(2020年代前半実現)
≪レベル3≫すべての操作を一度にシステムが行い、必要なときだけ運転者が対応する。
≪レベル4≫運転者が全く関与しない完全自動運転走行(2030年実現)

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