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2016年6月

2016年6月10日 (金)

<40年周期説から見て>今回の中国軍艦の尖閣諸島接近は要注意である。

中国海軍艦艇1隻とロシア海軍の艦艇3隻が、8日夜から9日未明にかけて日本の尖閣周辺の接続水域内に侵入した。政府は9日、「中国軍艦1隻が同日午前0時50分頃から約2時間20分間、沖縄県の尖閣諸島周辺の接続水域内を航行した」と発表した。中国海軍艦艇が尖閣周辺の接続水域に入域したのは今回が初めて。中谷防衛相は9日、「緊張を一方的に高める行為であり、深刻に懸念している」と、中国海軍のフリゲート艦が沖縄・尖閣諸島の接続水域内に入ったことに対し、中国を厳しく非難した。
国際法上問題がないとはいえ、軍艦は偶発的なトラブルを避けるためにも、他国の接続水域内を航行することを避けるのが一般的であり信義である。専門家は、今回の行動を機に、中国海軍は今後、接続水域内の航行を何度も繰り返し、既成事実を積み重ねることで、いずれ領海内にも侵入してくる可能性が高いだろう、とみている。
 
今回の中国海軍艦艇の尖閣周辺の接続水域内への侵入は、重大な事態を引き起こしかねない事件である。
私は、このブログでずっと日本は、明治維新以来40年周期で繁栄と没落を繰り返していて、2016年という年は80年前の1936年にあたると述べてきた。1936年とは、第二次世界大戦前の戦争に突入していく暗い時代で、二・二六事件が起きた年である。翌1937年には7月7日盧溝橋事件が勃発し日中戦争がはじまる。12月には南京事件が起きる。
80年周期説から見ると、来年が80年後の年回りにあたる。80年前の暗い歴史を思い返すと、今後偶発的に衝突が起きかねないことが心配である。慎重に対処する必要がある。特に、中国の国内事情が複雑化してきているので、軍部の暴走、政治抗争の激化による仕掛けがいつ起きるとも限らない。80年前は、日本陸軍の関東軍が暴走した。今回の接続水域への侵入についても、シンガポールで3~5日に開かれたアジア安全保障会議で、中国が南シナ海の複数の岩礁を勝手に埋め立てて軍事基地化し、「航行の自由」を脅かしていることなどが問題視され、中国軍の孫建国連合参謀部副参謀長が、「南シナ海は昔から中国のものだ」と自説を繰り返し、「一部の国が問題を過熱させている」「ある国は『航行の自由』を都合良く解釈して武力をひけらかし、徒党を組んで中国に対抗している」と、日米両国などを牽制(けんせい)したのが、背景にあるといわれている。
 
ちょっとしたことが大変な事態を招きかねない。1937年という年は、第二次世界大戦の起点になった年である。4月にはドイツ空軍機がスペインゲルニカ爆撃、11月には日独伊防共協定が成立、12月にはイタリアが国際連盟から脱退する。今年から来年にかけて、中国・ロシア・北朝鮮が友好関係・軍事同盟を再び築く可能性も否定できないのである。国際情勢を注意深く分析していく必要があろう。
 
また経済についても、アベノミクスの終焉かとささやかれてきているが、80年前も同じ状況が起きていたことを指摘しておこう。80年前、高橋是清デフレ脱却政策が景気回復の実感が末端まで届かない中で、1936年2月26日、二・二六事件が発生し、高橋是清蔵相の暗殺により終焉を迎える。1937年7月7日には、盧溝橋事件が勃発し日中戦争がはじまる。12月には南京事件が起きる。1938年になると、国家総動員法制定、1940年の大政翼賛会および大日本産業報国会の結成により、ソビエト連邦の戦時共産主義政策をモデルケースとする戦時体制を確立していくことになる。1939年には第二次世界大戦がはじまり、1940年には日独伊三国軍事同盟締結、1941年太平洋戦争開戦となる。このような歴史展開があったことを頭の片隅に入れておいてほしい。

米労働生産性低迷-経済の長期停滞論争と経済の未来

2016年6月6日の日本経済新聞朝刊紙面に、「米、労働生産性低迷で論争 平均値00年代2.6%→10年代0.5%」という記事が掲載されていた。
記事は、米国で経済の効率性を示す労働生産性が伸び悩み、米経済の先行きを巡る専門家の論争が熱を帯びている。労働者の技能の低下や技術革新の足踏みを背景に経済の『長期低迷』への懸念が高まる一方で、新しい技術や経済動向が統計に反映されていないとの反論が出ている、というものである。記事の内容は次のようなものである。
 
米国の非農業部門の労働生産性指数の上昇率が2016年1~3月期に前年同期比0.6%だったことが発端である。2010年代の平均は0.5%と、2000年代の2.6%から伸びを急減速している。米調査機関コンファレンス・ボードが独自に算出した数値だと、労働生産性は今年1年で前年比0.2%低下する見通しだという。低迷の直接の理由はこれまで雇用が順調に伸びてきたのに比べ、生産の持ち直しが緩やかだったことにある。人手のかかるサービス産業などが雇用増をけん引、高い技能のない人が再び働き始めた影響もある。企業が新たな設備投資に慎重で、足元の増産は人手に頼りがちとの見方も多い。
専門家の議論も、背景にある構造的理由をめぐって分れている。悲観論の代表は、米国の技術革新が鈍っているという主張だ。ノースウエスタン大学のロバート・ゴードン教授は、2000年代半ばまでのIT革命では幅広い産業でデジタル化が急速に進んだが、その効果が衰えていると指摘する。企業の新陳代謝の頭打ちや、高等教育の普及の一巡も一因だとみる。
インターネット上で貸し借りを仲介する「シェアリングエコノミー」が従来型の生産活動に逆風になるとの見解もある。ローレンス・サマーズ元米財務長官は、「民泊仲介のエアビーアンドビーがホテル建設に与える影響、配車サービスのウーバーテクノロジーズが新車需要に与える影響を考えよ」と主張している。
これに対し、「新しい技術やサービスが統計に正確に反映されていない」として、実際の生産性の伸びはもっと高いとの楽観論もある。一例はネット上で広がる技術やサービスの無料公開だ。その価値を金額で表すのは難しく、生産性の分子に当たる生産額の伸びが過小評価されているという。
生産性の動向は米国の経済政策の行方を左右する。生産性が上向かないままだと賃金の上昇圧力は高まらない。逆に人手不足だけが強まり賃金上昇に弾みがつけば、企業収益が悪化する中で物価が上昇する難しい局面を迎える。
 
どの見解も現在の世界経済の状況の正しい一面を指摘している。私は、今までこのブログを通じて世界経済が直面している状況について、人類歴史の進展の見地から論じてきた。
 
①サマーズ氏の主張する「需要不足と長期停滞」という論点について
このことについて私は、 現代の危機は地球文明が存続するか否かという根源的な危機の中にあるという認識に立ち、もはや世界経済は経済成長という時代ではないこと、経済は地球環境と共生しなければならない時代圏を迎えていることを論じてきた。世界経済は、成長モードではなくⅬ字型の安定経済回復にならざるを得ない。日本が、世界に先がけてこの経済状況に突入した(少子高齢化)のだが、この状況はいずれ世界各国が陥らざるを得ない構造的なものである。
需要不足という現象は、経済の成熟化によってもたらされたもので、需要不足の状態が普通で正常である時代を迎えていると解さないといけない。かつての経済成長時のような需要創造による経済繁栄は蜃気楼のようなものである。
2011年8月8日のブログ「米国国債格下げ-タイラー・コーエン論争と米国の苦悩」において、米国で論争となっている需要不足について述べた。タイラー・コーエンは、米国経済の繁栄を支えてきた条件、容易に収穫できる果実」が失われているという。それらは①自由な土地 ②イノベーション(技術革新) ③頭がよいが、教育を受けてこなかった子供たち の三つである。19世紀末までに①が消滅し、現在は②と③が消滅しつつある。米国の将来にとって、これらのことが失われてきたことが大きな影響を及ぼすという。最も議論を呼んでいるのが、②イノベーション(技術革新)の枯渇である。フロンティアが失われてきているのである。このような変化は、当然ながら新しい需要創出にブレーキをかけることになる。
 このような状況の中で、米国が製造業への回帰という選択によって、リーマン・ショックによる経済危機を乗り越えたことはすばらしい判断だった。小生もブログ(2012/2/18)「米国は復活のポイントをつかんだ」で称賛した。米国は、製造業への回帰によってリーマン・ショックという経済危機から抜け出し、世界の中で唯一経済的に希望ある状態を作り出した。世界のリーダーとして今後も大きな役割を果たすであろう。しかしその米国といえども、本質的な点では需要不足から抜け出すことは難しい。サマーズ氏が主張するように、需要不足は常態化する。それが、今回明らかになった労働生産性の低迷という問題である。
 
②ロバート・ゴードン教授の「技術革新が鈍ってきた」という主張について
この点について私は、産業革命から始まる技術革新の歴史はIT革命によって最後の段階を迎えていると主張してきた。人類歴史は、①狩猟段階、②農業段階、③工業段階、の三つのステップを踏んで進歩してきており、18世紀イギリスではじまった産業革命(工業化)は人類社会を工業化段階に導くものであると主張している。その中で、IT革命と情報化社会の進展は、技術革新がハード面からソフト面に変わってきたという意味で、工業化社会への仕上げ段階にきたと認識している。
この認識に立てば、技術革新が鈍ってきていることは当然の現象というべきものである。産業革命以降、徐々に進歩してきた科学技術の発展が、地球という舞台の中で、一つにまとめられる時代圏を迎えたのである。それゆえ、資本主義の大競争の時代も最終段階を迎えている。最後の勝者は、世界に責任をもち、世界中から慕われる者が世界のリーダーになると思われる。
この観点から、ロバート・ゴードン教授の見解「技術革新が鈍ってきている」とは同じ見解である。この現象は、特許出願状況や企業の新陳代謝の鈍化、若者の技術教育に対する関心の低下にみられるだけでなく、世界的大企業が業種を超えて成長分野と思われる残された数少ない分野に進出して競合状態を作り出していることにみられる。もはや新しい分野は限られてきており、しかも技術革新には巨額の資金を必要とする状況は、技術革新の時代が終焉に近いことを予感させているといえるのである。
第四次産業革命という技術革新が語られているが、この技術革新は人類が地球に安着するために準備されているものである。社会を大きく変革する技術革新になると考えられるが、従来型の需要創出型のものではないはずである。
 
③「シェアリングエコノミー」の進展について
サマーズ氏が指摘しているシェアリングエコノミーが需要減少をもたらすという指摘は、まったくその通りである。私は、ブログ(2009/8/2)で「新しい経済-贈与経済-が始まろうとしている(1)」で、新しい経済「シェアリングエコノミー」について述べてきた。従来のものの購入と所有という経済からものの所有と利用の分離、本来の人間とものの関係の創造が始まろうとしていることを論じた。
「現在、先進国ではものに渇望する消費者像という需要者の姿は薄れている。技術革新によって需要を創出するという考えが今なお強いが、もう時代錯誤に近い考えになろうとしている。今起きていることは、ものに足りた消費者が人生を豊かに生きるために本来のものと人の関係を見直そうとする動きである。地球の中で、環境との共生、社会との共生、諸民族・諸国家との共生があたりまえになろうとしている。必要でないものを無理にもつ必要はない。そのことに人々は気づき始めた。賢い消費者が、安心と安全が保証されるのであれば、所有を絶対視しないという合理主義の精神を発揮しようとしているのだ」、と述べた。
従来の経済学の分析の枠を越えた経済の変化が起き始めているのである。
 
④「技術やサービスの無料公開」の進展について
生産性を低迷させている原因が、「ネット上で広がる技術やサービスの無料公開」であるという指摘は正しい。その価値を金額で表すことのできない経済活動が広がっていて、その活動は経済統計には反映されていない。それは事実であるし、このような活動も含めると、生産性は鈍っているということは危険であるという指摘である。
貨幣価値によって換算できる生産性という指標の外に、貨幣換算できない経済活動が増大しているという指摘は正しい。この現象は、贈与経済(贈与)の進展によって起きている現象である。贈与によって行われている経済(奉仕・寄付・援助など)は、貨幣による交換によってすべての経済は行われるという現在の経済分析の範疇の枠外にある。
小生は、ブログ(2009/8/8)「新しい経済-贈与経済-が始まろうとしている(2)」の中で、贈与経済が始まろうとしていると書いた。
贈与経済という経済システムは、社会の中で昔から行われてきたものであり、現在も行われている。それは社会を安定化させ、秩序をもたらすために不可欠なものである。贈与経済という経済行為は、富が形成されていないと始まらない。贈与するもの(お金・技術・知識など)があるということが前提となる。そして、贈与したいという心情・意思・意識が必要である。贈与という行為がなされると、贈与を受けた人は無償で果実を得ることができる。そこには対価を必要としないというすぐれた側面がある。それだけでなく、贈与によって心情的恩恵(感謝)の念がもたらされる。そのことは、贈与を受けた人が受けた恵みに感謝し相手を信頼し、次にその恩恵を返そうとする二次効果を内包している。贈与には経済の拡大作用を誘発させる効果があるのである。援助を受けた人は、感謝しその恩恵を心の隅に留める。そして、受けた恩に報いる行いをとろうと努めるだろう。その結果、社会は安定し、経済的には発展することになる。
こう考えると、技術やサービスの無料公開は、来るべき経済発展の種まきの段階であるともいえるだろう。生産性の伸びという指標にはまだ結びついていないものの、将来的には人間の生産性(労働生産性という概念で述べているのではない)の向上に寄与することは間違いない。
贈与は、社会の絆のネットワークの不変のセイフティ・ネットであり、社会発展の基礎となるソーシャル・キャピタル(コミュニティ)の向上に寄与するものである。そして、貨幣を伴う伴わないにかかわらず、贈与経済の進展は経済を新しい次元に引き上げていくことだろう。
心情的には愛、形式的には贈与と呼ぶこの行為は、人間活動の潤滑油である。人間と人間をつなぎ、そこに信頼と共感の境地をもたらす。人間が一つになる方策である。
 
⑤新しい経済=共同体経済家族主義が始まろうとしている
現在、起き始めている新しい経済現象は、共同体経済家族主義とも呼ぶべき経済変革である。
この経済システムが産声を上げるためには条件がある。まず、富裕者と貧困者が格差対立していることは異常であり、すばらしい人生を生きる権利が平等にあるというという認識が出発点になければならない。そして、人と社会が信頼の絆で結ばれていること、富を有する人が富の所有に執着しなくてもすむ状況にあること(将来の不安や恐怖がないこと)、同胞を助けたいという相互扶助の精神に満ちていること、贈与者(富裕者)と需要者(困窮者)を結ぶ中間の機関ー政府や団体ーが信頼に足るものであること、困窮者も社会の一員としてのモラルを守っていること等、贈与という仕組みが世の中を平和で豊かにするものであるという認識が必要である。そして、自立した賢い住民が、共存・共生の未来創造に目覚めようとしていることが重要である。そこにいつまでの住みたいと思える状況が生れないといけない。地域は一つの家族にならなければいけない。
このような基盤が醸成されるところから、新しい時代が始まることになろう。 これから繁栄する地域・国はどこか?それは家族が安定して結束している地域・国である。家族の再興に成功した地域・国が、時代をリードするであろう。

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