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2017年3月

2017年3月14日 (火)

「一億総活躍社会」のキャッチフレーズで進められている日本崩壊戦略

 平成28年6月2日に、「ニッポン一億総活躍プラン」が閣議決定された。少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする戦略だった。立派な目標が立てられていた。

 どのような政策が行われるのか、期待半分不安半分で見守ってきた。今までのところ、国民に対する社会福祉という政府のばらまきにすぎないというのが私の感想である。国民が困っているのを見て、「楽になりますよ。楽にしますよ」と甘い言葉で囁き続けているだけのようである。困っていることがあったら、政府がお金を出して助けますよと言っているだけである。しかもそのお金は、政府のふところを考慮しない借金をあてにしたものである。ついに、その財源に多くの国債が検討されるに及んでいる。国債発行は、政府の歳入歳出の均衡財政の上で好ましくないとわかっているものだが、教育国債・科学技術国債などという今まで考えもしなかった国債が検討されている。正規の財源として確保できないものだから、国債を発行して財源を確保しようというのだ。教育国債の場合、教育無償化には5兆円近くかかるとの試算もある。

 国債発行は、次世代に借金のつけを回すことになるから慎重にならないといけないと口では言っているが、今までそういって積み重なってきた政府債務は1062兆5745億円、国民1人当たり約837万円、(2016年9月末現在)と過去最高を記録している。GDP比は250%を超えている。それでも次から次へと借金する提案が出されている。もう借金慣れして感覚がマヒしているとしかいえない。

 膨大な借金を抱えた事業家が、この際いくら借金しても大して変わらないと腹をくくったような行いである。100億も1000億も変わらない。破産してしまえばそれでチャラになる。ならば、どんどん借りてしまえと博打をしようと言っているようなものだ。

 政府は、もう政府債務の返済を諦めているのであろう。いつか超インフレ、ちょうど第二次世界大戦期後に起きた悪性インフレのように、貨幣価値が急落して借金が目減りしてチャラになることをもくろんでいるとしか考えられない。末期症状である。ハイパーインフレが起きることによって、政権は終わりを告げるのだ。

 拙ブログで、「一億総活躍社会」という政策が出された2015年、この政策は80年前を踏襲していると記した。民主党の蓮舫議員が、戦前を思い起こすと批判されていたが、「一億総活躍社会」も、1935年独のルーデンドルフが「国家総力戦論」を著わした年の80年後であった。80年前、総力をあげて国民を戦争に駆り立てた。そして80年後、国民を総力を挙げて無気力化しようとしている。
1935年、ルーデンドルフ自らが『国家総力戦論』を著したのを受けて、第二次世界大戦後に岡村寧次が永田や東條英機の言動から、この国家総動員体制に対して後知恵で「総力戦体制」と名付けた。
拙ブログ2015/12/20「黒田日銀の「補完策」決定ーアベノミクスは手詰まりになったか?そして今後は?」

 お金がバラマキなら、その国民精神の教育は、「楽をしろ楽をしろ」と叫んでいるようだ。

 「ニッポン一億総活躍プラン」の重要な柱である「働き方改革」の検討会で3月13日、重要な決定がされた。改革の柱である時間外労働(残業)規制について、首相官邸で経団連の榊原定征会長と連合の神津里季生会長と会談し、繁忙期の上限について、「月100時間未満」労使双方は受け入れる方向で、新たな残業規制案が事実上固まった。残業は原則「月45時間、年360時間」までとし、繁忙期のみの特例的な上限として、〈1〉月100時間を基準とする〈2〉2~6か月間の平均80時間以内〈3〉年720時間(月平均60時間)以内〈4〉月45時間超は年6か月まで――とする。

 非合理的な労働、押しつけられた労働が社会に広がるなか、労働のあり方に歯止めをかける必要はある。しかし、それは働くな、とか余暇を楽しめというメッセージであってはならない。

 額に汗して知恵をめぐらして働く労働は、人間に与えられた喜びであり、人生というものを豊かにするものである。大地を耕し、ものを発明し、この地上で生きる喜びを実現するものである。労働の産物が富であるとは、アダム・スミスが残した言葉である。人生を豊かにする労働を推奨しないと、「ただ楽をしろ楽をしろ」ということになりかねない。労働の根本を忘れていませんか。資源のない日本が先進国になれたのは、日本人が労働の価値をよく解っていたからである。その労働を忘れるとすると、日本の未来は真っ暗である。

2017年3月13日 (月)

トランプ旋風の歴史的意味 (4)40年周期説から見た同時性の時代(2)

(2)レーガノミクス期<19811988年期>

 

●期間前の情勢

 

1975年の南ベトナムの陥落後、19794月にイラン革命、11月にはアメリカ大使館人質事件が起こり、米国は19804月にイランに国交断絶を通告する。また1979年には、ソビエトによるアフガニスタン侵攻という1962年のキューバ危機に次ぐ大きな危機が勃発する。国際テロも増加し、社会主義国との軍拡競争も拡大していた。

経済面では、1970年代米国経済はエネルギー危機、高い失業率、急速なインフレと金利の上昇というスタグフレーションが進行して、アメリカの将来の繁栄について基本的な疑問が持たれていた。1979年には第二次オイルショックが起き、再びドルの信頼が問われることになった。これを受けてFRBは、19798月よりボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策が断行する。ボルカーの導入した引き締め政策によって、197910月にはニューヨーク株式市場は短期間のうちに10%を超える急落を見せた。

一方、ソビエト連邦ではブレジネフの指導下で都市労働者の賃金を2倍にし、田園部労働者の賃金も約75%上げ、数百万戸の家族用アパートを建設し、大量の消費財と家庭電化製品を生産することで生活水準を改善していた。工業生産高は75%上昇し、石油と鉄鋼については世界最大の生産国になっていた。歴史の潮流はソビエト連邦有利に変わりつつあった。

 

●金融引き締め(1981~1982)

 

このような状況の中で、レーガン大統領が登場する。レーガン大統領は、のちにレーガノミクスと呼ばれる大型減税とSDIと呼ばれた軍事増強策によって米国を繁栄に導こうとした。レーガノミクスの主軸は、個人と法人の大型減税(累進課税率25%引き下げ)と政府支出削減(実際には、軍事費拡大と社会保障費横ばいにより政府支出は拡大した)、規制緩和、インフレ収束であった。

レーガノミクスの最大の特徴は,個人・企業減税に歳出削減をパッケージとした点にあったといわれている。レーガノミクスでは市場原理の完全性、合理性が期待されているとし、そういう中で雇用や投資を長期にわたって拡大するには、従来のような短期的な需要刺激策よりも、自発的な労働や貯蓄意欲を刺激する中長期的な供給面の政策が重要と考えられた。そこで、レーガノミックスでは第1に貯蓄・投資を刺激するための大幅減税が導かれ、第2に減税で生じた民間貯蓄を国債発行(=財政赤字拡大)で吸収することなく、そのより多くを民間投資に振り向けるため歳出削減が導かれた。(*1:経済企画庁「昭和62年年次世界経済白書-政策協調と活力ある国際分業を目指して- 」)

当初の1980年~1982年経済の収縮が起きる。1979年9月のボルカーFRB議長による金融引き締め政策が始まりだった。1979年に平均11.2%だったフェデラル・ファンド金利(政策金利)は引き上げられて 1981年には20%に達し、市中銀行のプライムレートも同年21.5%に達した。しかし、それと引き換えにGDP3%以上減少し、産業稼働率は60%に低下した。失業率は、1980年に7.1%だったものが、1982年後半には10.8%にまで高まった。失業者数は1980年の827万人から1983年には1071万人に増大した。一方、金融引き締めの効果により、インフレ率は1980年13.5%から3%に低下し、インフレは収まった。

 

●順調な安定成長期(1983~1988)

 

FRBは、1982年後半、3年続けた金融引き締め政策を中止した。3年間の金融引き締め政策でインフレ率は1981年に13.5%に達していたものが1983年には10%以上も減少し3.%にまで低下した。失業率は上述のように大幅に悪化していた。米国は、金融引き締めから緩和に転じたことによって経済は活気を取り戻した。アメリカは復活したと言われるほどの景気回復になった。景気回復過程における設備投資の立ち上がりは著しく高く、8384年の設備投資のGDPに占めるウエイトは非常に大きいものであった。

また、社会保障費及び軍事費拡大による有効需要増加は景気拡大とその所得効果による輸入増加を引き起こす一方、中立的ないしやや抑制的な金融政策の下で国内貯蓄・投資バランスが8384年とひっ迫したことから、実質金利高・ドル高を継続させた。実質金利高・ドル高の継続は、価格競争力の面からも貿易収支赤字を拡大する方向に作用し、経常収支赤字拡大をもたらした。また、ドル高は輸入物価の低下を通じて、国内物価の安定に一層寄与した。(*1)

 

この結果、米国とそれ以外の国の内外金利差は拡大しドル高傾向となっていった。ドル相場は高めに推移して、輸出減少と輸入拡大は大幅な貿易赤字をもたらした。金融緩和されたものの高金利の状態にあったため民間投資は抑制された。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、国際収支が大幅な赤字となり財政赤字も累積していった。輸出の減少には、米国製造業が抱えていた構造的問題があった(後述)

金融緩和による金利低下により貿易赤字国の通貨であるドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。不安定なドル相場に対して、1970年代末のドル危機の再発を恐れた先進国G5(日米英独仏)は、協調介入によるドル安で合意した。この合意は、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった(1985922日プラザ合意)。その後失業率は急速に下降し、レーガン政権末期の19891月には5.4%のレベルになった。ドル安円高の為替レートの出現は、米国製造業の回復の大きな支援の力となったのだった。

1983年以降、経済は回復した。1982年から1988年にかけてGDPは年平均4.2%増加した。軍事費の増加による財政支出と石油価格の下落という幸運が重なって、消費は拡大した。

 

<企業構造改革>

 

米国製造業は、1960年代半ば以降国際競争力に陰りが生じており、生産性向上は後進国に大きく劣り技術的にも停滞していた。80年代半ばには「非工業化」「空洞化」等と呼ばれる現象に注目が集まり、製造業は総崩れといってもいい状況であった。レーガノミクスの高金利政策は、ドル高を生じさせ、製造業の国際競争力の低下を一挙に顕在化させていた。貿易赤字増大には拍車がかかっていた。

米国製造業では、1980 年代から 90 年代にかけて、1970 年代にかけて採られた多角化戦略が非効率経営を招 いた点を踏まえ、不採算事業からの撤退が進められ、事業の選択と集中が行われた。経営資源を収益性の高い分野に再配分したほか、アウトソーシングや生産拠点の海外シフトによって、安価な労働コストの実現や現地需要の取り込みを図っていった。また、企業ガバナンス構造の変化として企業の経営陣に変化が見られた。1970 年代まで内部昇進者で占められていた経営者や取締役が、1980 年代以 降、社外出身者に取って代わられた。たとえば、米国大企業で 1980年代に 5%に過ぎなかった外部 CEO の登用比率は、2002 年には3 割半ばにまで上昇した。(*2:日本銀行調査統計局 通傳友浩/西岡慎一 「米国の製造業における 1980 年代~90 年代の経営改革」 2015 3 月)https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2015/data/ron150309a.pdf

 

製造業が大きく復活するのは、1990年代に入ってからであるが、1980年代半ばから始まる企業の復活の直接の原因は景気の好転と円高ドル安であり、企業の構造改革としては、日本の量産技術の導入、ハイテク産業への投資、中でも半導体産業への投資であった。1980 年代から 90 年代にかけて、コンピュー タ・電気機械における付加価値シェアが上昇しており、中でも半導体などの電子部品やパソコンなどの通信機器といった技術集約的な分野でシェアが上昇した。

 

<金融制度改革>

 

米国の預金金融機関制度は、 1970年代半ばに至るまで、 1933年銀行法 (グラス・スティーガル法)に基づく厳格な規制の下に置かれてきた。① 預金金利規制 ② 地理的業務規制・単店銀行制度 ③ 業務範囲規制である。1980年3月、既に実質的に進行していた預金金利の自由化を完成させたのが、「預金金融機関規制緩和・通貨統制法」(DIDMCA)である。銀行と貯蓄金融機関の間にあった格差の多くを除去し、 その一方で、 全預金金融機関に支払準備を課して連邦準備制度への事実上の加盟を義務づけるとともに、 預金保険付保限度額を4万ドルから (今日の水準である) 10万ドルに引き上げて、 預金金融機関のセーフティネットも整えた。金融自由化のインパクトは世界中に及んだという。1982 10月には 「1982年預金金融機関法」(ガーン-セント・ ジャーメイン法)が成立し、198310月に定期性預金金利の自由化が完成したことで預金金利規制の自由化が達成された。

(*3)樋 口 修「米国における金融・資本市場改革の展開」レファレンス 平成1512月号

http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200312_635/063504.pdf

 

この法律は、預金保護をS&L(貯蓄貸付組合)にまで拡張するというものであった。この結果、S&Lは破綻しても政府が保証してくれることとなった。このことを知った人たちは、SLの設立に奔走し、砂漠の中のショッピングセンターなど無謀な貸付に走った。そして1989年バブルがはじけた。多くのS&Lが破綻して金融支援のために5000億ドルもの税金が支払われた。

 

●レーガノミクスの成果

<国際政治>

 

強いアメリカをキャッチフレーズに、SDI構想という軍事戦略を推進したレーガン政権は、ソ連の軍事的野心を打ち砕き、東西冷戦の終結に導くことになった。1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは198511月、米国レーガン大統領と米ソ首脳会談を行い、核軍縮交渉の加速、相互訪問などを骨子とする共同声明を発表した。19864月、ゴルバチョフはペレストロイカを提唱し、本格的なソビエト体制の改革に着手する。また4月に発生したチェルノブイリ原発事故を契機に、情報公開(グラスノスチ)を推進する。1986年にはアフガン撤退を表明、198712月には中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)を締結する。

対外的には、1989年のポーランドにおける円卓会議を起点とする一連の命東欧革命に関して、ソ連は軍事的行動を行わず、1990年の東西ドイツ再統一が実現した。国内では、199112月のソビエト連邦共産党解散を受け各連邦構成共和国の主権国家としての独立、また大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された。東西冷戦は終結した。

国際政治の上では、レーガノミクスは世界平和の構築に多大なる貢献をしたのであった。

 

<経済>

 

1980年代に始まる企業の構造改革は、米国企業の国際競争力を高め、復活を印象づけるものとなっていく。1990年代の世界経済はほとんどアメリカの一人勝ちの様相を呈した。企業の経営改革は、次の3点である。

①製造業の雇用吸収力は低下したものの人材の高度化が進められ、収益力は向上した。収益力向上は、株価の上昇や配当の増加につながり、国内需要の喚起に一定の貢献を果たした。

②不採算分野からの撤退や新規分野の創出が行われるなかで、製造業内での産業構造が変化し、コンピュータ関連など高付加価値分野がシェアを伸ばした。

③米国の産業構造の変化に合わせ、輸出における主力品目も変化し、 海外生産シフトが進みつつも、米国輸出は比較的高い伸びを保った。(*2)

 

その結果、1980 年代半ばにかけて輸出は長期均衡値との対比で弱めに推移していたが、1990 年代に入ると、強い伸びを示していく。1980年代の規制緩和と企業の構造改革の推進は、東西冷戦の終結を経て1990年以降大きく花開いていったのだった。米国輸出の伸びを支える大きな要因となったのはハイテク部門だった。電気・光学機器のシェアが拡大したほか、RDResearch and Development研究開発 集約的な財やハイテク財など高付加価値製品の伸びが米国輸出を牽引した。1991年3月からのアメリカ経済の景気上昇は10年にも及び、アメリカ資本主義史上最長の景気上昇となる。しかも、この息の長い景気上昇はインフレを呼ばなかったところに大きな特徴がある。

 

●副作用とその対処

 

レーガノミクスによるドル高は、経常収支の赤字を膨らませた。経常収支は、198255億ドルの赤字から19851,200億ドルの赤字へと増加し、1986年には対外債務が対外債権を上回る純債務国へと陥落した。米国企業の対外競争力低下が原因であったが、この経常収支の赤字問題がプラザ合意とその後のドル安につながることになった。

また、減税によって経済成長を促すことで歳入を増やすという目的は達成されなかった。設備投資は一時大いに刺激されたが、貯蓄増強はできず、貯蓄率は低下傾向を続けた。政府の累積債務は、1980年の90904100万ドルから198826011400万ドルへと2.6倍に、GDP比では33.4%から51.9%に増加した。

高金利下で企業の投資資金は、高金利による株安から他の企業の買収合併へ向かい、株式ブームを生み出した。なお、株式ブームは1987年のブラックマンデーにより終了する。しかし、この株式ブームとブラックマンデーはFRBの裁量により深刻な恐慌をもたらさなかったが、このことがその後のアメリカ経済のFRB・金融政策依存と資産経済化をもたらすことになっていく。

 

1980年代、レーガン政権のもとでのちに金融危機を引き起こすことになる金融制度の緩和が進め始められる。

グラス・スティーガル法第20条業務範囲規制の適用緩和は漸次行われ、非適格証券業務(銀行本 体で行うことができない証券業務)が次第に広がっていった。1999年、グラム・リーチ・ブライリー法が成立し、 1980年預金金融機関規制緩和・通貨統制法に始まる米国の金融・資本市場改革はここに一応の完成をみた。直接金融と間接金融の境界が融合する (或いはより直接金融化する)金融の実態に 適応させるプロセスであった。(*3)

最後に財政問題については、1980年代以降膨張し 「双子の赤字」 の元凶と目された財政赤字は90年代末に脱却したことをあげておく。1990年代のハイテク産業の成立が大きく寄与した。

 

日本への影響

 

プラザ合意によって、急激に為替の円高ドル安が進行する。発表翌日の923日の124時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった

日本は、1980年代前半アメリカの莫大な経常赤字により輸出が急伸し、経常黒字は著しく増大、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いでいた(ハイテク景気)。しかし、日本は、G5協調介入によって人為的に円高に導いた結果、輸出産業は競争力を相対的に失い、自然な経済成長リズムの破綻に繋がった。(*2)

さらに、「88年包括通商法」 としてスーパー301条が成立し、日米半導体協定や 「日米構造 (障壁) 協議」 が行われた。 構造協議において米国は、 過剰貯蓄や 「系列」 を掘り崩すことにより日本の経済力の根幹を痛撃したのである。1990年代、日本は土地バブルの崩壊とともに膨大な不良資産を抱え込み、失われた20年という停滞を余儀なくされた。手痛いしっぺ返しを食らったといえよう。

 

(3)トランプ政権の今後と日本

 

トランプ大統領の登場前の状況が過去二度の同時期と類似していることが理解できたであろう。

 

FRBが金利引き上げに異様に慎重なのも、過去二度の失敗を教訓にしているからである。米国経済は、2008年の金融危機から脱して8年にも及ぶ景気回復の道を歩んでいる。完全雇用状態にあると誰もが認め、インフレの気配がみられることからフェデラル・ファンド金利(政策金利の)引き上げが議論されている。しかし、世界的に金融緩和が極端に進んでいる現在、一つ間違えば金融収縮を引き起こしかねない。手をこまねくならばインフレは亢進してさらに問題を複雑にするであろう。過去二度の歴史を見れば分かるように、トランプ政権の政策が実行に移される前に一度金融調整が起きるかもしれない。FRBの金融引き締め政策からは目をそらせないのである。

 

国際情勢では、2014年のソ連によるウクライナ騒乱とクリミヤ侵攻、2014年ごろからの中国の南シナ海進出と南沙諸島での軍事要塞化、2011年からのシリア内戦とIS(イスラム過激派組織「イスラム国」)によるテロ事件の多発、北朝鮮の核ミサイル開発と戦争になりかねない逼迫した事態が起きている。

 

こうした状況の中でトランプ大統領が登場したのである。トランプ大統領は、「アメリカファースト」を掲げてはいるものの、過去二度の時期に見られるように世界の平和に責任を持たざるを得なくなるはずである。また、軍事支出、インフラ支出を通した財政出動もかなりの規模で進められるであろう。大型減税も行われるであろうが、レーガン政権の時期待されたほど税収が伸びなかったため、慎重になる可能性がある。また、最重要政策である国内への投資と製造業復活は、持続性を伴うものとなるのかまだ未知数である。レーガノミクスにおいては、製造業復活はドル高是正と企業の構造改革を待たなければならなかった。そして、製造業の復活は産業の高度化によってなされたため、中間層に対するメリットは限定的だった。第二次世界大戦期においては、製造業の定着のためにコストプラス利益保証、奨励金付きの賃金という助成措置がなされたこともある。

 

トランプ政権は、財政出動による一時的な需要創出ではなく、民間主導による製造業回帰と雇用創出、賃金上昇を実現させることをねらっているが、それは第四次産業革命とよばれている技術革新をどのように取り込んで実現させるかにポイントがあるだろう。

 

日本は、過去の同時性の時代に見られたように、トランプ大統領の政策に翻弄されることになる。過去二度の歴史を振り返ると、第二次世界大戦時の石油禁輸措置、レーガン時代のプラザ合意(為替レートに対する政策協調)によって、日本経済は致命的打撃を受けてきた。プラザ合意に至る背景には、1980年代初頭レーガノミクスによる経済の再建に失敗した米国がドイツや日本との不均衡を為替レートで調整しようとする意図があったことを知るべきである。 日本は米国に命運を握られている。二回とも日本は米国と対立して敗北した。とりわけレーガノミクスの時には、日本の素晴らしい生産技術は米国に吸収導入・移転され、日本は円高ドル安という仕組みの中で崖下に突き落とされたのだった。日本が繁栄に驕り高ぶっていたころ、米国は製造業再生に苦しんでいた。そのことを考えないで、「日本強し」と立ち振る舞っていたのはなんと愚かなことだっただろうか。為替相場如何で、日本経済は激変することをわきまえないといけない。一国の繁栄を願うのではなく、世界の繁栄を願わなくてはいけない。今行うことは、米国との協調、トランプ大統領との協調共生共栄路線である。

 

そしてもう一つ、構造改革なしには日本は復活しないということを自覚しないといけない。アベノミクスで円安の恩恵を享受している間に構造改革を成し遂げなければ、すべては水泡に帰すのだ。構造改革として何をすればいいのか。新しい時代の担い手は誰なのか。2025年というタイムリミットは迫っている。

 

トランプ旋風の歴史的意味 (3)40年周期説から見た同時性の時代(1)

 トランプ大統領の政策は、1980年代のレーガン政権のレーガノミクスにダブらせて見られている。大型減税、軍事増強、インフラ投資などその主張はレーガン政権と類似している。今後世界は、どんな展開をしていくのであろうか。

 私は、現代歴史は40年周期で動いていると指摘してきた。第118651905、第219061945、第319461985、第419862025である。この見地からトランプ大統領の登場をみると、唐突でも意外なものでもない。現代歴史の同時性を踏襲していることがわかる。

 その同時性の歴史とは、①第二次世界大戦期1937年~1945年、②レーガノミクス1981年~1988年、③トランプ政権以降2017年~2025年、である。(期間のずれは、歴史の重要な事件が起きるタイミングが制度などによって規定されていることがあるためずれが起きてしまう。)過去の二つの時期の展開を比較しながら、トランプ政権の未来を展望してみたい。併せて、日本がどのような歴史をたどるのかを推測してみたい。下に米国の第二次世界大戦期、レーガノミクス期のGDPの成長率と寄与度(GDPの構成要因)を掲げておく。

 

1930年〜1946年におけるアメリカの実質GDP成長率の寄与度分解
世界恐慌からルーズベルト大統領就任の1933年までマイナス成長を続け、ルーズベルトのニュー・ディール政策により1937年まではプラス成長を続けたが、1937年5月〜1938年6月までの恐慌によりマイナス成長にいったん転じた。第二次世界大戦の勃発に伴い、軍需の増大から政府支出(グラフ紫色表示)が増加し、アメリカ経済を牽引した。戦争が終わると実質GDP成長率はマイナスに転じている。

1974年〜1990年におけるアメリカの実質GDP成長率の寄与度分解
レーガン政権下における双子の赤字(財政出動(グラフ紫色表示、プラスに寄与)・純輸出(グラフ黄色表示、貿易赤字のためにマイナスに寄与))は寄与度分解でもはっきりと表れている。

(1)第二次世界大戦期<19371945年期> 

期間前の情勢

 

米国では、既にF.ルーズベルトが大統領のもとに、ニュー・ディール政策が実施されていた。最悪期は脱し、1935年には失業者の生活保護から大量雇用を中心とする第二次ニュー・ディール政策に政策は移行していた。経済は順調に回復し、アメリカの鉱工業生産は1929年の水準にまで回復を遂げていた。物価はインフレ傾向にあり、そのことを警戒したFRBは金融引き締めに転じ、1936年8月から19373月かけて預金準備率を32倍に引き上げた。また、米国政府の債務残高はGDP40%という前代未聞の水準に達していた。

 

国際情勢においては、日本が1932年満州国を建国、1933年には国際連盟を脱退する。満州を経済圏として得た日本のGDPは、1934年に恐慌前の水準に戻っていた。翌1935年には、戦前日本経済・消費が最高度に達したといわれた。1940年には鉱工業生産・国民所得が恐慌前の2倍以上となっていく。米国でも未来に対する楽観的な雰囲気が支配していていた。世相は、暗くなかったのである。

金融引き締め期(1937~1938)

19368月からのFRBの金融引き締めと19371938年の財政均衡政策は、順調に回復してきていた経済に異変を起こす。1937年下期に入って経済が急減速しマイナス成長に陥る。FRBの金融引き締めと政府の財政均衡政策-1936年の所得税率引き上げ、19371月の社会保障税の導入、1937年の財政支出大幅削減予算-により1938年は不況になり、実質GDP11%下がる。失業率は4%上昇し、「ルーズベルト不況」と呼ばれることになる。その一方で、1936-38年にはGDP5.5%の財政赤字を解消する。

 

(ダグラス・アーウィンは、財務省が金の流入を徹底的に不胎化する決定を行い、それが原因でマネーサプライの伸びに急ブレーキがかかることになったと主張している。)
金の不胎化一国に金が多量に流入すると,通貨増発をもたらし,経済にインフレ的影響を与える。この影響を防止するための政策をいう。たとえば1936年末,米国は流入する金を不活動資金として凍結し,金購入の代金として通貨の代りに財務省証券を交付した。

 

株価は19373月高値194ドルから19383月にかけて50%以上急落した。1937年高値の194ドルを回復したのは1945128日のことである。1937年の亡霊」といわれ、これがこの23年FRBが金利引き上げに慎重になっている理由である。

 

国際情勢に目を転ずると、193777盧溝橋事件が起こり、1945年までの日中戦争がはじまる。8月には上海事件が起こり、中国大陸は戦乱の舞台となっていった。ナチスドイツは、1938年にオーストリアを併合し1939年にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発する。

 

●順調な安定成長期(1939~1945)

 

この時期の経済は戦争経済である。第二次世界大戦の勃発を受けて、米国は軍事支出の増強を図る。この結果、戦争経済による好景気が1945年まで続くことになる。太平洋戦争が起こり、連邦政府は見境のない財政支出を開始し、また国民も戦費国債の購入で積極財政を強力に支援した。1943年には赤字が30%を超えたが失業率は急低下し1941年の9.1%から19431945年の平均で労働力の2%以下にまでなり、1945年には1.2%にまで低下した。GDPは、1939年から1945年にかけて88%増大した。600万人もの女性が加工生産分野の職に就いた。労働者の実質賃金も39年から45年までに27%上昇した。戦争という特殊な状況下であったため、コストプラス利益保証、奨励金付きの賃金という助成策もとられた。

 

この時期の物価は、価格管理局が住居の賃貸料を統制し、砂糖からガソリンまでの消費財を配給し、他にも価格上昇を抑えるように努めたため、インフレは抑えられた。

 

副作用とその対処

 

副作用は終戦後起きたが、米国の場合軽微であった。FRBが戦時国債を買い支え、終戦時保有残高は国民総生産10.6%にのぼったものの、戦争遂行費用は国債にのみ頼ってなく正常な財政支出でも賄っていたためである。1945年のGDPは、16,466.9億ドル前年比-4.2%に落ち込んだ。インフレ率をみると、1940年を100として、1945年は128.628,6%上昇、1955年には191.4である。1945年を100にすると、1955年には148.948.9%上昇であった他の戦争当事国に比べ、圧倒的にインフレ率が低かった。

 

戦後はブレトン・ウッズ協定が発効し、基軸通貨としてのドルが不足しがちとなり、資金流出を止めるために金利は高止まりした。また、戦争終結により軍需生産が終了したため、雇用創出が急がれた。1946年には雇用促進法によって大統領経済諮問委員会が設立され、政策は軍需を創出する方向へ向いていく。19473月にトルーマン・ドクトリンが出され、6月にはマーシャル・プランが提唱されていく。戦後が始まるのである。

 

日本への影響

 

日本は米国に先立って1936年の二・二六事件以降戦争経済に入っていく。満州への進出は、日本経済を早期に恐慌より立ち直らせたが、外貨不足は深刻になっていった。1937年の支那事変からはじまる日中戦争、石油禁輸に端を発する米国との戦争は、日本を壊滅に導いていった。日中戦争の始まりによって、日本と米国の関係は険悪になり、1938年には日米通商航海条約が破棄される。米国の態度は1940年の日本の仏印進駐や日独伊三国同盟の締結によりますます硬化し、1941725日には在米日本資産の凍結、8月には「日本を含む全ての侵略国」 への石油禁輸に踏み切ることになる。日本は、米国との太平洋戦争に巻き込まれることになる。そして1945年敗戦、国土は灰塵に帰したのだった。

 

1945年の日本のGDPは、987.1億ドル、前年比―50.0%であった。GDPの対米国比は、193922.7%と戦前最高の値を示したが、1945年には6.0%にまで落ち込んでいた(*1)。消費者物価指数は、194510月から19494月までの36か月の間に約100倍となった。日本銀行の調査によれば、1934-1936年の消費者物価指数を1とした場合、1954年は301.8となった。つまり、8年間で物価が約300倍となったことになる。

 

(*1) Monitoring The World Economy 1820 - 1992 OECD(経済協力開発機構)

拙ブログ2011/7/7米国の1929年大恐慌からの復活をもたらしたもの(米国の世紀)」参照h
ttp://kivitasu.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/1929-4d9c.html

 

2017年3月 4日 (土)

トランプ旋風の歴史的意味 (2)安易なグローバリズム礼賛への反逆-アダム・スミスもケインズも安易なグロ―バリズム礼讃には反対した

産業革命以来、経済の発展は市場の拡大とともにあった。グローバリズムは経済を成長させ世界を繁栄に導く原動力であった。グローバリズムに光と影があるとしても、時代の趨勢は間違いなく経済のグローバル化であった。新興国も、経済の近代化を通して富裕への道を歩み始めることができるようになった。経済における「近代化(工業化)」「貿易自由化」「生産の海外移転」「グローバル最適地生産」という考えは、歴史の必然の流れであり、それに合わせることこそが時代の選択であると考えられている。

グローバル化がもたらす闇がいかに理不尽だとしてもそれに抗することは難しい。しかし、それも我慢の限界に達したら人間の怒りが暴発することには変わりはない。トランプ旋風とは、資本主義と経済のグローバリズムがもたらした不条理に対する大衆の怒りの爆発であるが、一時的な不満の爆発にすぎないものではない。批判されているような保護主義でもない。トランプ旋風の背後には新しい時代の兆も垣間見える。

 

(1)象のカーブ

 

 グローバル化に伴う個人の富の獲得を分析した研究に「象のカーブ」と呼ばれている分析データがある。

 エコノミストのブランコ・ミラノビッチが示した「グローバル化の象のカーブ」は米国やイギリス社会にみられる中間層の不満や滞留をさらに裏打ちする。横軸を世界の人々の所得階層、縦軸を1998年から2008年の所得の伸び率とする折れ線グラフを使い、所得階層によってこの間の所得がどう伸びたかを比較すると、新興国の人々(象の背中)と上位1%の最も豊かな富裕層(象の鼻先)が所得を大幅に伸ばしている。それに比べ、先進国の中・低所得層の伸びは僅かにとどまっているとされる。実際、米国の実質賃金や家計所得の中央値は長期にわたり停滞が続いている。

先進国の中間層は思い描いていたライフスタイルを実現することがますます困難となり、米国社会では広く共有されていた成功志向や労働倫理が大きく揺らいでいる。かつて自律的な市民社会の担い手だった中間層が、いまやアイデンティティクライシス(自己喪失)に陥る恐怖に苛まれているのである。(キヤノングローバル戦略研究所 主任研究員 神保 謙)

Photo

Source: Branko Milanovic, Global Inequality: New Approach for the Age of Globalization (Cambridge: The Belknap Press of Harvard University Press, 2016)

http://www.canon-igs.org/column/security/20161130_4040.html

【最も所得変動が大きくプラスになったのは、新興国で台頭する中間層(象の背中A)の所得と、先進国の富裕者層(象の鼻先C)だった。それに比べ、先進国の中低所得層(象の鼻の付け根B)の伸びはわずかにとどまり、実際、米国の実質賃金や家計所得の中央値は長期にわたり停滞が続いている。】

 米国で起きたトランプ旋風とは、まさに先進国中間層の貧困化がもたらした大衆の怒りの爆発でことを「象のカーブ」は端的に示している。

 

(2) アダム・スミスも経済のグローバル化には慎重だった 

 

 自由貿易協定・経済連携協定を推進する人々は、アダム・スミスの次の言葉を錦の御旗にして経済のグローバル化に邁進しきた。

 「労働の生産物のどれだけの部分が国内消費を超過して余ろうとも、それにたいして、外国貿易はいっそう広い市場を開くことによって、その国の労働を奨励してその生産力を改善し、年々の生産物を最大限に増加させ、かくしてその社会の真の所得と富とを増加させるのである。こうした重大な任務を、外国貿易は、それが行われるすべての国にたいして絶えず遂行している。これらの国々はすべて、外国貿易から大きな利益を得る。(アダム・スミス「国富論」第4篇第1章)」

 こうアダム・スミスは述べたのだが、一方でグローバル化は自国の産業の繁栄のために他国の市場を獲得しようとしているため、新たな市場となる国にとっては深刻な反対が起こる。秩序が乱される。利害対立に公平な考慮を払うならば、この種の変更はけっして急激に行うべきではなく、徐々に、漸進的に、しかもよほど前から予告をした後に導入されるべきなのであると述べていることを忘れてはいけない。自由貿易協定は、決して急いではいけないというのである。

 さらに、「自由貿易が将来大ブリテンに完全に回復されることを期待するのは、この国にオシアナ(ジェームズ・ハリントンの著作に出てくる理想郷)あるいはユートピアが将来建設されるのを期待するような夢想に近い。社会一般の偏見だけでなく、それよりもいっそう克服しがたい多数の個人の私的利害が、とうてい抵抗できないくらいに強力に反対するからである)とも述べている。

 

 しかしこのような指摘は無視され、経済のグローバリズムは、経済的利益を手っ取り早く手に入れることができるものとして、抵抗する私的利害対立を抑え込んで強引に進められてきた。西欧列強によって進められてきた植民地支配は、新市場の果実の奪い合いだった。そしてその結果は、世界大戦という戦争によって崩壊を起こすだけだった。「グローバルリズムは、まさにあらゆる事項を合理的な「金融的計算」に任せてしまう。合理的個人主義やグローバルな国際主義は、人類共通の普遍的価値や理念という一見耳ざわりのよい響きを響かせながら、実際にはより重要な価値、つまり日々の生活を構成している国民の中にある価値を破壊しかねないのだ。(佐伯啓思)」

 この言葉の中に本質がある。そこに生活する人々の生活は隅に追いやられ、権益の虜になった人々の主戦場となるのだ。

 

 トランプ大統領の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱、北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉の表明の背後にある思想は、安易なグローバル化礼讃は正しくないという認識である。グローバル化は米国から製造業を追い出してしまった。米国中間層は職を奪われ、停滞し貧困に陥らざるを得なかった。トランプ大統領の中心的な支持者は地方の中小都市や農村地帯に住む大学教育を受けていない白人の中間層・貧困層であることは、このことを如実に示している。

 

(3)ケインズも、経済のグローバル化を安易に礼讃してはいない

 

 ケインズ理論は、経済のグローバル化による国内経済の投資不足と低迷に対する打開策として生まれたことを思い起こしていただきたい。

 ケインズは、自由な金融のグローバリズムは個々の投資家にとっては利益機会を提供するが、その結果として、イギリスの国内に投資されるはずの資本が海外に流出する。しかもこのことこそが、イギリス経済の低迷、容易に回復しない高失業という事態と決して無関係ではないという認識に至った。1923年から1924年にかけて、ケインズは自由至上主義の批判者に変わったのだった。

 

 拙ブログ「ケインズのグローバル経済批判」(2016/3/16)の中から、その論点を見ることにする。http://kivitasu.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-d9ef.html

 ケインズの経済問題の中心的主題は、「欠乏と貧困問題、および階級対立と国家間の経済闘争の問題」であった。個人主義的社会を放置するとそれはうまくいかない

 1923年から1924年にかけてケインズは自由な市場の擁護者から自由至上主義の批判者に変わった。その背景にはグローバル化する経済のもとでイギリス経済の不安定(物価の変動と高い失業率)という問題が存在したのである。

 自由な金融のグローバリズムは個々の投資家にとっては利益機会を提供することであろう。しかしその結果として、イギリスの国内に投資されるはずの資本が海外に流出する。しかもこのことこそが、イギリス経済の低迷、容易に回復しない高失業という事態と決して無関係ではない。

 『ネーション』誌524日に、国内の貯蓄が国内で運用の機会がないために海外に流出し、「我が国の社会全体としては最小の利益しか獲得できない使途に向けられる」と書く。確かに国内の投資意欲は減退している。しかし、そうであれば、海外に流出する資本を国内に誘導し、政府が主導して大規模な建設事業を行うべきだというのである。「国民の富を国内での資本開発に導くことによって、われわれは我が国経済の均衡を回復することができるであろう」というのだ。

 

 イギリス経済の低迷の理由は、国内の貯蓄に対して国内投資が過小になっている点にある。この状態で金融のグローバリズムを実行すれば、資金は海外に流出するだろう。そしてその状態が続けば、そのことがいっそうイギリス経済の回復を遅らせるだろう。そこで海外に流出する資本を政府が誘導し、公共投資などの形で国内に還流させるべきだ。これがケインズの考えであった。

 

 グローバル経済を優先的に考えると、国内経済は不安定化せざるを得ないというのが、ケインズの見立てでもあったのである。そこでケインズが処方として出したのが、金本位制を廃止して国内経済の安定のために中央銀行が貨幣を管理するという管理通貨制度だった。ここに、中央銀行という楯が国民経済の安定を保証するというシステムの誕生があった。ケインズ理論が発表された時、西欧の指導者はこれで社会主義革命の恐怖から解放されると安堵したことも付け加えておく。

 

 経済のグローバリズムを放置していたら、国内経済は不安定化し国民生活は改善されないのだ。私が過去のブログで度々TPP批判を繰り返したのも、海外経済に依存することは投資家、企業家にとっては利益機会をもたらすものの、一般の国民にはその利益はなかなか行きわたらず不利益をこうむりかねないという理由からであった。201211月からのアベノミクスによる輸出主導経済によってもその恩恵が国民に行きわたらなかったのは、ある意味当然なのである。ケインズがたどり着いた認識-「国民の富を国内の資本開発に導くことが国内経済を回復させることである」-こそ、最重要課題なのである。

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