日記・コラム・つぶやき

2017年3月14日 (火)

「一億総活躍社会」のキャッチフレーズで進められている日本崩壊戦略

 平成28年6月2日に、「ニッポン一億総活躍プラン」が閣議決定された。少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」の実現を目的とする戦略だった。立派な目標が立てられていた。

 どのような政策が行われるのか、期待半分不安半分で見守ってきた。今までのところ、国民に対する社会福祉という政府のばらまきにすぎないというのが私の感想である。国民が困っているのを見て、「楽になりますよ。楽にしますよ」と甘い言葉で囁き続けているだけのようである。困っていることがあったら、政府がお金を出して助けますよと言っているだけである。しかもそのお金は、政府のふところを考慮しない借金をあてにしたものである。ついに、その財源に多くの国債が検討されるに及んでいる。国債発行は、政府の歳入歳出の均衡財政の上で好ましくないとわかっているものだが、教育国債・科学技術国債などという今まで考えもしなかった国債が検討されている。正規の財源として確保できないものだから、国債を発行して財源を確保しようというのだ。教育国債の場合、教育無償化には5兆円近くかかるとの試算もある。

 国債発行は、次世代に借金のつけを回すことになるから慎重にならないといけないと口では言っているが、今までそういって積み重なってきた政府債務は1062兆5745億円、国民1人当たり約837万円、(2016年9月末現在)と過去最高を記録している。GDP比は250%を超えている。それでも次から次へと借金する提案が出されている。もう借金慣れして感覚がマヒしているとしかいえない。

 膨大な借金を抱えた事業家が、この際いくら借金しても大して変わらないと腹をくくったような行いである。100億も1000億も変わらない。破産してしまえばそれでチャラになる。ならば、どんどん借りてしまえと博打をしようと言っているようなものだ。

 政府は、もう政府債務の返済を諦めているのであろう。いつか超インフレ、ちょうど第二次世界大戦期後に起きた悪性インフレのように、貨幣価値が急落して借金が目減りしてチャラになることをもくろんでいるとしか考えられない。末期症状である。ハイパーインフレが起きることによって、政権は終わりを告げるのだ。

 拙ブログで、「一億総活躍社会」という政策が出された2015年、この政策は80年前を踏襲していると記した。民主党の蓮舫議員が、戦前を思い起こすと批判されていたが、「一億総活躍社会」も、1935年独のルーデンドルフが「国家総力戦論」を著わした年の80年後であった。80年前、総力をあげて国民を戦争に駆り立てた。そして80年後、国民を総力を挙げて無気力化しようとしている。
1935年、ルーデンドルフ自らが『国家総力戦論』を著したのを受けて、第二次世界大戦後に岡村寧次が永田や東條英機の言動から、この国家総動員体制に対して後知恵で「総力戦体制」と名付けた。
拙ブログ2015/12/20「黒田日銀の「補完策」決定ーアベノミクスは手詰まりになったか?そして今後は?」

 お金がバラマキなら、その国民精神の教育は、「楽をしろ楽をしろ」と叫んでいるようだ。

 「ニッポン一億総活躍プラン」の重要な柱である「働き方改革」の検討会で3月13日、重要な決定がされた。改革の柱である時間外労働(残業)規制について、首相官邸で経団連の榊原定征会長と連合の神津里季生会長と会談し、繁忙期の上限について、「月100時間未満」労使双方は受け入れる方向で、新たな残業規制案が事実上固まった。残業は原則「月45時間、年360時間」までとし、繁忙期のみの特例的な上限として、〈1〉月100時間を基準とする〈2〉2~6か月間の平均80時間以内〈3〉年720時間(月平均60時間)以内〈4〉月45時間超は年6か月まで――とする。

 非合理的な労働、押しつけられた労働が社会に広がるなか、労働のあり方に歯止めをかける必要はある。しかし、それは働くな、とか余暇を楽しめというメッセージであってはならない。

 額に汗して知恵をめぐらして働く労働は、人間に与えられた喜びであり、人生というものを豊かにするものである。大地を耕し、ものを発明し、この地上で生きる喜びを実現するものである。労働の産物が富であるとは、アダム・スミスが残した言葉である。人生を豊かにする労働を推奨しないと、「ただ楽をしろ楽をしろ」ということになりかねない。労働の根本を忘れていませんか。資源のない日本が先進国になれたのは、日本人が労働の価値をよく解っていたからである。その労働を忘れるとすると、日本の未来は真っ暗である。

2016年8月 2日 (火)

バン・アレン帯を超える宇宙旅行は時期尚早か?(NASAの調査より)

NASAは、2016年7月28日アポロ計画に参加してバン・アレン帯を超えて月に到達した宇宙飛行士が高レベルの宇宙放射線にさらされたことにより長期的に循環器系疾患の発生率が参加しなかった宇宙飛行士に比べ4倍も高かったという調査結果を発表した。
バン・アレン帯を超えた人類はアポロ計画に参加した限られた人だけだが、想像以上に宇宙放射線の影響は甚大である。この調査だけでも、人類が月や火星に宇宙に飛行することはまだ無謀であるといえるだろう。宇宙放射線にいかに対処するか、その対策を見いだすことのほうが先決である。
business newslineの記事を転載する。
 
【NASA: アポロ計画の宇宙飛行士の循環器系疾患の長期発症率は他の宇宙飛行士の4倍・宇宙放射線の影響】
http://business.newsln.jp/news/201607290327460000.html

NASAの研究チームが発表した論文により、アポロ計画に参加して地球の低軌道よりも先の宇宙空間でのミッションに参加した宇宙飛行士が長期的に循環器系疾患の発症率は、同時期の他の低軌道のミッションにしか参加しなかった宇宙飛行士に比べて4倍にも達していることが判った。

NASAの研究チームでは、アポロ計画に参加した宇宙飛行士に循環器系の疾患が多数発生している原因は、地球のバンアレン帯を超えた宇宙飛行を行い高レベルの宇宙放射線に晒されたことにより一部の血液細胞が破壊されるなどの影響を受けたことが原因とみている。

今回発表された研究発表を受けて、有人宇宙飛行の専門家の間からは、将来的に実施が計画されている有人での月や火星飛行が宇宙飛行士に与える影響を抑えるためには、ミッションに要する飛行時間をできるだけ短縮して、ディープスペースを短縮するなどの考慮が必要となるとの指摘もでてきている。

この研究発表は、University of FloridaのMichael D. Delpを中心とする研究チームにより、学術専門誌のScientific Reportsを通じて発表された。

Source: doi:10.1038/srep29901

Emily Thomas is contributing writer of the Business Newsline.  Send your comment to the author

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2016年5月22日 (日)

【報道】「ハーバード大学が世界各国でSTAP細胞の特許出願、今後20年間権利独占も」より

小保方晴子氏のSTAP細胞騒動から2年、STAP細胞は存在しないものとされた。理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定されている。その後日本では、STAP細胞そのものが存在しないという認識が社会的常識になるなか、米国ハーバード大学では粛々と世界各国で特許出願を進めているというのである。
 
ハーバード大学といえば、小保方晴子氏が短期留学した元チャールズ・バカンティ医学大学院教授が在籍していた大学である。バカンティ氏は、STAP細胞研究について理化学研究所内で研究をあまりオープンにしないことを要求するとともに特許出願を急がせたともいわれている。小保方氏の研究論文に疑義が発覚して理研の調査で不正が認定されても、筆頭著者の小保方晴子とともに論文撤回に反対したことは、記憶にある方も多いであろう。
 
このような情勢の中で、ハーバード大学はSTAP細胞に関する特許を出願し続けているというのである。Business Journal(2016/5/21)が伝えている。http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html
 
米ハーバード大学附属ブリガムアンドウィメンズホスピタルが、STAP細胞の作成方法に関する特許出願を、日本、米国、EPO(欧州特許庁)、カナダ、オーストラリアなど世界各地で行っており、更新料、維持料が支払われている。これについて5月9日、弁理士でITコンサルタントの栗原潔氏は、同大学が日本国内でも特許出願に関して実体審査請求をしていることを明らかにした。出願審査請求は4月22日に提出されている。
 
これまで理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定された。しかしハーバード大は日本の「STAP細胞は存在しない」という大合唱を他所に、粛々と特許の申請を進めていた。小保方晴子氏の代理人である三木秀夫弁護士は語る。「ハーバード大は世界各国での特許申請にかかる費用や維持に、推測で1000万円程度の費用がかかっているようです」

ハーバード大が特許を申請する研究内容の範囲は広く、細胞にストレスを与えて多能性が生じる方法のメカニズムに対する特許請求である。STAP細胞論文での小保方氏の実験担当部分「アーティクル」のプロトコルは「オレンジジュース程の酸性の液に細胞を浸すと細胞が初期化する」が有名だが、それ以外に細胞にストレスを与えるさまざまな方法が試されており、「アーティクル」でその成果を報告している。これは理研がSTAP細胞論文を発表した当初の「報道発表資料」にも明示してある。

再生医療での実用化

ハーバード大がSTAP現象の特許を出願し、その審査要求をするのは当然、再生医療での実用化を睨んでのことだとみられる。 そして「人工的な外的刺激で体細胞が初期化するのではないか」というアイデアを思いついた小保方氏は再生医療の新たな扉を開いたことになる。特許は認定されると、出願後20年間の工業的独占権を認められる。

実体審査では申請された特許の内容が特許の要件を満たしているか、その内容の記述的専門家である審査官が行う。この実験が特許の取得が前提であれば、共同で行った発明や実験の知的財産権を侵害する恐れがあるため、小保方氏によるハーバード大での共同実験部分のノートやデータを、理研や早稲田大学の博士論文不正調査に提出できなかっ たのは当然だろう。

再生医療での実用化ハーバード大は特許に「STAP」という言葉を使うかは不明だが、一度は英科学誌「ネイチャー」で報告された「STAP」(刺激惹起性多能性獲得細胞)という概念を再生医療に転嫁できれば、小保方氏のアイデアは生物学の歴史のなかで燦然と輝くことになるだろう。体細胞の初期化から始まる再生医療の未来の扉は開いたばかりなのだ。
(文=上田眞実/ジャーナリスト)

2016年5月 7日 (土)

【報道】「完全な自動運転車実現に向けての突破口が見えてきた」の内容にびっくり

運転者のいない完全な自動運転車の実現に向けて、ルールづくりの突破口が見えてきた。道路交通に関する条約の柔軟な解釈が国際会議で固まり、運転者なしで車外から遠隔操作する行動実験の環境が前進したのだそうだ。その経緯を知り、とてもびっくりした。≪運転手は車の中にいなくてもいい≫、コロンブスの卵のような解釈が状況を急変させたのだという。
 
日本経済新聞が2015年5月2日の記事「自動運転車 公道へ一歩」でその経緯を追っている。
 
日本が加盟する「ジュネーブ条約」は人が車をコントロールすることを求めており、日本の道路交通法も運転者なしの自動運転を想定していない。だが、同じ条約に加盟しているフィンランドでは政府が車中に運転者がいない自動運転を認めている。ギリシャも昨年秋、街中での実証実験を始めた。この背景を明治大学の中山幸二教授が、「ギリシャなどは条約の文言を自己流に解釈し可能にした」のだといわれる。「運転手は必須でも車中にいる必要はない」と解釈し、緊急時のブレーキ操作などは車外から遠隔操作するという実験を始めているのだそうだ。
ジュネーブ条約は、1949年に制定されたもので、「車には運転者がいなければならない」と定めるが、運転者が車中にいる必要があるかは明確に定めていない。独自の解釈で実験を始める国が出るなか、自動車の世界標準を作る国連の欧州経済委員会(ECE)の作業部会が今年4月1日までジュネーブで開かれ、条約の対応が話し合われた。この会議で、「運転者は車中にいるかどうかにかかわらず、車をコントロールすればよい」との合意に達し、遠隔操作での自動運転に踏み出すことに条約解釈上のお墨付きが得られたのだそうだ。
今後、遠隔操作の安全基準や一人が複数車を遠隔操作することを許容するかなど、決めなければならないことは多いという。
日本のロボットタクシーの会社(ディー・エヌ・エーとロボット開発ベンチャーZMPの共同出資)には、我が国で思う存分実験してビジネスを始めないかという誘致の話がシンガポール、フィンランドなど多数舞い込んでいるという。
 
自動運転は、今後どのように進展していくのであろうか。私たちの安全と利便性に直接関わることだけに目が離せない。
 
自動運転のレベル
≪レベル1≫システムがハンドル、加減速などのいずれかを制御する。自動ブレーキ、車間距離の維持、車線の維持(実用化済み)
≪レベル2≫複数の操作を一度にシステムが行う。自動追い越し、自動合流(2020年代前半実現)
≪レベル3≫すべての操作を一度にシステムが行い、必要なときだけ運転者が対応する。
≪レベル4≫運転者が全く関与しない完全自動運転走行(2030年実現)

2016年4月21日 (木)

レンズ付きフィルム「写ルンです」人気復活―30年前の開発秘話

今年発売30周年を迎えるレンズ付きフィルム「写ルンです」が再び人気のようだ。スマホで撮影し加工して投稿が主流の時代に、むしろ不便さが新鮮なようだ。「人物を撮ることが多いんですけど、小さなカメラなので撮られるほうも構えることなく自然な姿を捉えられるんです」という。
 
私は、レンズ付きフィルム「写ルンです」が30年前世に出た時、その手軽さにとても喜んだことを覚えている。しかしそれだけではなく、レンズ付きフィルム「写ルンです」の開発仕掛人にその話を直接聞く機会があり、とても感動したことを思い出した。
その開発仕掛人とは、伴五紀先生である。「日本のエジソン」といわれ、エジソンのモーターを効率的なものに改良したり、カメラのストロボの開発者として非常に有名な方である。先生の特許は、1000以上にも上る。先生は、日本のカメラを世界レベルに引き上げたのは僕の開発した技術によるのだと自負されていた。
 
その先生が、「写ルンです」の開発秘話を語ってくださった。レンズ付きフィルム「写ルンです」の企画の相談に来た人に、次のような戦略を授けたんだといって語られた。
 
「この企画を日本の名だたるカメラメーカーに持ち込みなさい。どこも自分のところのカメラが売れなくなるから企画に乗らないはずだ。全部に断られたら、最後に富士フィルムに持ちこんでみなさい。富士フィルムは、カメラメーカーがノーといったことを知ると、この企画に興味を示して乗るはずだから、と教えたんだ。」
カメラ業界の特質を知り抜いている先生だからこそできた戦略だった。
戦略は見事に成功して、レンズ付きカメラ「写ルンです」は世に出ることができた。
新しい商品が世に出るまでには、技術の開発だけでなく、技術をどのように商品にするか、商品のニーズをどのようにとらえるのか、企業として商品を出すことのメリット・デメリットの勘案という経営上の判断を乗り越えないといけない。「写ルンです」は、上で述べたような経緯を経て世に出たが、近年の日本には伴五紀先生のような戦略家がいないのではなかろうか。それが残念である。
その先生が、こう語られたことが心に刻み込まれている。「日本人は嫉妬深くて困る。アメリカ人はいいとわかったらすぐに受け容れる。」
この差が、現在の日本とアメリカの差となっているのではないだろうか。

国連人権理事会担当者「日本は報道の独立性の担保を」発言ー規制緩和の根本は言論の自由であることを忘れてはいけない。

最近のマスコミ報道には、するどい指摘もなければ、刺激を受ける記事も少なく、緊張感に欠けていると感じておられる方は多いのではなかろうか。日本の進むべき道に鋭い指摘を行って、道を正すことがマスコミの使命である。ところが、最近の報道には、報道機関自身が何か自主規制しているような奥歯にものがはさまったような言い方が多いように感じる。政府からの要請があると巷間伝えられているが、そうであってはならない。政権に都合の悪いニュース報道を抑えようとする姿勢は、当面波風を立てないだけのもので、結局政権の支持と信用をなくし、日本の未来を危うくするだけである。日本は、自由と民主主義の国とはいいながら、その内実は社会主義国と変わらないと思われても仕方がない。このような姿勢をとるなら、政権がどんなに日本再興のために規制緩和を実施しようとしても成功しないであろう。
 
この意味で、国連人権理事会の特別報告者、カリフォルニア大学のデービッド・ケイ教授の報告には真摯に耳を傾ける必要がある。デ―ビッド・ケイ教授は、今月12〜19日日本の言論・表現の自由に関して関係省庁の高官やメディアの代表者、記者、市民団体などから聞き取り調査を実施して、19日、都内で記者会見を行って語った。
 
デービッド・ケイ教授の発言の要旨は、
・放送法、特定秘密保護法は改正を
・メディア横断組織を設立し政府からの独立性強化を
・構造的に政府機関との癒着を招く記者クラブは廃止すべきだ
・高市早苗総務相は面会を断る
・自民党の憲法改正草案は「表現の自由」の観点から問題である
 
である。

ケイ氏は「実際に多くのジャーナリストから話を聞き、様々な企業・放送局・出版社・新聞社の調査を行って、報道の自由に関する懸念は強くなった。報道機関と政府の間に緊張感があることは健全ではあるが、ジャーナリストからは日に日に圧力を感じているという声が挙がっている。日本は報道の独立性を担保するために何らかの対応を取るべきだ」と指摘した。特に政府に対するデリケートな問題については、圧力を感じると聞いた。この懸念について、まず多くのジャーナリストが匿名を要求した。ジャーナリストの皆さんの立場は確保されているのに「匿名で」と求められるのは異例のことだと述べた。
また、特定秘密保護法については「国民にとって関心の高いニュースが法律で機密として開示されないおそれがある。『秘密』という定義の幅が広く、政府は透明性が高い形で明確に定義する必要がある」と述べた。
ケイ氏はほかに、高市早苗総務相が放送法を根拠に放送局に電波停止を命じる可能性に言及したことを「メディアへの脅し」と問題視。特定の番組に対し自民党が注意文書を送ったことなども「テレビ局への圧力」と批判している。
ケイ氏は、来年、今回の調査内容や改善点を報告書にまとめて国連人権理事会に提出することにしている。

特定秘密保護法で報道は萎縮し、メディアの独立は深刻な脅威に直面しているのではないか。80年前の太平洋戦争に向った時メディア統制が行われたように、今回もメディア統制と見られかねない姿が見えはじめている。とても悪しき兆候である。

2016年3月28日 (月)

日本がかつて世界から驚嘆された時代を思い起こそう!それが日本が目指す道である。

現在の日本人は、向かうべき道を見失っているように見える。世界の国に伍してどんな国を作ればいいのか、わからなくなっているのではないだろうか。米国の価値観にとらわれて見失ってしまったともいえる。
 
実は、日本が世界のほとんどの国から驚嘆された時代があった。先進国も途上国も、そして共産圏の諸国も驚嘆した時代があった。西洋人以外で初めて近代化に成功した国、アジアの希望の星、共産主義国さえ「わたしたちの理想が実現されている」と驚いた時代。中国の要人が「わたしたちの理想が実現されていますね」と感嘆した時代。1985~1990年。日本の絶頂期は、世界の尊敬の対象だったのだ。残念なのは、その時私たち日本人が繁栄の中で慢心してお金信奉に陥り自らを見失ってしまったことだ。自ら築いた繁栄を自ら崩壊に導いてしまった。1990年以降、日本は衰退の一途をたどることになった。当時、これから日本が衰退していくことが分かった私は、とても無念であった。それから25年、予感の通り衰退してしまった。
 
過ぎた時は取り戻せないが、再び栄光の日本を取りもどすことはできる。世界が驚嘆した1985~1990年という時代。その時築いた世界こそ、日本が目指す道である。お金信奉だけはやめてもらいたいが・・・・。そんなことはできるわけがないと冷ややかに見つめる人はそれで結構である。方策はある。
 
ところで実は、ロシア人も皆親日家だという。北野幸伯さんのメルマガを転載して、何がロシア人を親日家にしたのかその理由を知っていただきたい。
 
無料メルマガロシア政治経済ジャーナルの著者・北野幸伯さんは、ロシア留学時に一番驚いたこととして、「ロシア人が皆親日だったこと」を上げています。mag2ニュースが伝えています。http://www.mag2.com/p/news/161932/3

 

私は1990年、モスクワ国際関係大学に留学しました。それで、一番驚いたのは、「ロシア人が親日だったこと」です。ロシアは、当時「共産ソ連」だった。だから、日本を「日帝」などとよび、嫌っているのかと思っていた。

しかし、全然違っていました。ロシア人だけでなく、世界中から来ている留学生たちも、みんな日本が好きでした。その後、いろいろ旅行しましたが、どこにいっても「日本人というだけで歓迎されました

私は、「日本は悪い国。日本人は悪い民族。全世界が日本を嫌っている」という「自虐史観」は、間違いであることに気がついた。それで、メルマガや本で、「自虐史観は捨てましょう」と書いています。

その後私は、「なぜロシア人は親日なのだろう?」と思い、注意して話を聞くようになりました。理由は、いろいろあります。

1.日本高品質製品のパワー

私が来た1990年代初め、ロシア人は、「日本の家電で家を埋め尽くす」ことを夢見ていました。当時、日本の家電を自由に買うことはできなかった。しかし、その品質の高さは、「伝説」になっていたのです。「日本車は?」と思いますね。日本車については当時、あまりにも遠すぎて、「夢にも思えない状態」だったのです。

その後、残念ながら日本の家電業界は、衰えました。しかし、いまだに「日本製品は超高品質」という信用は保たれています。

2.日本は、「理想の国」?

これは、大学の教授などからよくいわれました。ロシアは、当時ソ連だった。そして、共産ソ連が目指したのは、「万民が平等で豊かな国」だった。ところが、事実は「万民が平等で、『貧しい国』」になってしまった。

日本は当時、「90%の人が、自分のことを『中流』と考えている」非常に「豊か」で「平等」な国でした。世界の共産国家の人たちは、「おお!私たちの理想が、日本で実現しているぞ!!」と驚嘆していたのです。

3.日本文化への憧れ

「金儲け」を最上の価値におかなかった共産国家ソ連。人々は、きわめて文化的な生活を送っていました。子供の頃からプーシキンの詩を暗記させられる。そして、バレーやクラシック音楽、スポーツなどの分野で、異常な強さを誇っていました。そんな彼らは、日本の「武士道」「」「俳句」などに興味をもち、一種の憧れをもっていました。

最近も、友人の誕生会に行ったら、友達の友達が、「芭蕉の句」をロシア語で披露しました。「北野知ってるか?」と聞かれ、知らなかったので恥ずかしかったです(涙)。他の人が、「歌舞伎の歴史」について話しはじめたので、私は速攻話をそらしました(笑)。

思いつくまま挙げましたが、ロシア国民が親日なのは当時も今も変わりません

 

2016年1月24日 (日)

外国人留学生からみて、日本は魅力のない国になりつつある。

日本企業も外国人社員の採用に積極的になり、いよいよ国際化の時代にふさわしい社会になってきていると希望に感じておられる方が多いと思う。人材派遣会社のディスコが行った「外国人留学生の採用に関する企業調査」(2015年11月調査)によると、2016年度外国人留学生採用見込み企業は57.1% 1000名以上の企業では7割超になるという。
 
従業員数1000 人以上の企業では「採用予定あり」が7割を超えているが(71.8%)、1000人未満の企業でも半数を超えており、外国人社員の採用が企業規模に関わらず、かなり浸透してきている。製造業・非製造業で見ると、2015 年度の実績は「製造」が34.6%、「非製造」が34.1%で大きな差は見られなかったが、2016 年度の見込みは、「製造」が60.9%と「非製造」の53.3%と大きく上回り、製造業において、より外国人社員採用への意欲が高まっている。 http://jinjibu.jp/news/detl/10329/
 
この結果に喜んではいけない。この調査は、企業サイドの意向なのであって、外国人留学生側の意向は無視されている。実際は、そんなに楽観できるものではない。
 
日本経済新聞が、2016年1月23日の紙面で、【「日本で働きたい外国人2割のみ」留学生支援団体調査】(一般社団法人の日本国際化推進協会が実施) という記事を掲載している。
この調査によると、「日本で働くことが魅力的」と答えた外国人は約2割にとどまった。一方で「日本に住むのは魅力的」との回答は8割超に上る。日本文化に対する人気とは対照的に、日本企業は役職や年功による序列が強く、男性優位といった負の印象を持たれているようだ。調査は留学生などの外国人819人を対象に昨年10~11月に実施した。日本で働くことが「非常に魅力的」という回答は4.3%止まり。「やや魅力的」(17.7%)を合わせても低水準にとどまった。日本企業に対するイメージでは、約96%が「序列が強い」と指摘した。
 
外国人留学生からみて、日本企業は魅力的ではないのだ。日本企業がどんなに力を入れても、外国人留学生から見たら魅力に乏しいものとして受け止められていることをよく承知しておかないといけない。
 
外国人留学生の相談にのり留学生事情に詳しい人の話によると、日本に来る留学生の9割はアジアからで、かつていた西洋人はいないということである。日本にあこがれる理由も、かつては日本企業の経営とか生産管理といったことを学ぶことを目的としていたが、現在はアニメ・マンガなどに関心の深い人が多いように思うといわれている。そのためか、卒業すると、ほとんどがすぐに国に帰ることになるという。日本企業の思惑とはかなり違う留学生の実態がそこには見られる。日本は、かつてのような魅力的な国ではなくなってきているのだ。中国人の爆買いに浮かれている場合ではない。いつ外国人が日本に愛想をつかしてしまうか予断を許さないのだ。
 
昨日、学校ぐるみで不法就労をあっせんしたとして、日本語学校の経営幹部3人が逮捕された。【「疲れて授業中に眠る留学生」 日本語学校元職員が証言(朝日新聞2016/1/24)】の記事である。
週の勤務が合計28時間以内が規則なのに、二つの会社を掛け持ちさせて不法就労をあっせんしていたという容疑である。パンフレットで「スクールバス」と紹介された大型ワゴン車2台。実際は学校の送迎ではなく、留学生が学校と職場の間を移動するために使われていたという。
 
実はこの記事の背後には、日本の留学生政策の矛盾が隠されている。日本では留学生は週28時間まで働けるが、そのように長時間就労できる国は海外にはないとのことである。働きたい人が留学生として日本に留学してきているケースが多いらしい。何のための留学生受け入れなのか、再検討すべきではないだろうか。
 
日本では、留学生の待遇をよくするためとして、立派な国際交流会館が造られている。しかし、入寮期間が1年などの期限があったり、国費留学生が優先されたりなど使いにくい面が多いという。また、1年未満の短期留学の場合、学割定期が使えない。このため、交通費がバカ高くなってしまうという。また、驚くべきことだが、留学生のネットワークとして、大学内あるいは出身国のネットワークはあるものの、それを超えたネットワークはないらしいのだ。
 
外国人を受け容れて国を再興しようとするならば、抜本的に考え方を改めないといけないのではないだろうか。日本人は、縄文の昔より外国人を受け容れて文化を発展させてきた。現在、日本人は閉鎖的になっているのではなかろうか。世界の国の中で、日本ほど人種差別・宗教差別がなく、すべての人が仲よく生活できる可能性を持っている国はないように思う。これが、「日本に住むのは魅力的8割」という調査結果に表れているのではなかろうか。
 

2015年10月16日 (金)

マイナンバー制度開始ー個人番号カードは申請ぜず、作成しないこと

今月から、マイナンバーの通知カードの送付が始まった。今月20日ごろから11月にかけて、住民票のある住所に簡易書留で世帯ごとに届くことになっている。

個人情報の流出やなりすましの被害が懸念されている。通知カードが届いたらどんなことに気を付ければいいのか。警察などは便乗したニセ電話詐欺などへの注意を呼びかけている。個人情報保護に詳しい清水勉弁護士は「よく分からないときはいったん電話を切るなどして、時間をずらすこと。その間に、市区町村や税務署などに問い合わせをすればいい」と説明。落としたり盗まれたりするのを防ぐため、給与所得者が勤務先に番号を伝える場合など法律で決まった手続きに必要なとき以外は持ち歩くべきではないという

通知カードには、来年1月から希望者に無料で配布される個人番号カードの申請書が同封されている。通知カードは紙製で顔写真も付いていない。

顔写真付きで、ICチップに個人情報が記録される個人番号カードの作成は、個人の自由だ。総務省の担当者は「就職、転職、出産育児、病気、年金受給、災害など多くの場面で個人番号の提示が必要となる。通知カードは運転免許証など他の本人確認書類が必要だが、個人番号カードがあれば一枚で済む」などと利便性を強調する。

これに対し、上智大の田島泰彦教授(情報法)は「身分証明書として個人番号カードを使うと、情報流出やなりすましなど経済的な不正利用の可能性が高まるので作らない方がいい」と言い切る清水弁護士も「利便性を感じるか、リスクの方が大きいと感じるかはその人次第。申請はいつでもいいので、急ぐ必要はない。自分にとって『確かにこれは便利だ』と思えるまでは作るのはやめた方がいい」とアドバイスする。(東京新聞2015年10月11日)

当面のマイナンバーの使用目的は3分野、社会保障(年金や雇用保険、生活保護など)、税分野、そして災害対策分野で、本格運用は2016年からである。18年以降は、医療分野への拡大や銀行口座との紐付けなど利用範囲が拡大していく予定らしい。将来、不動産登記や自動車登録、住宅ローンなど、あらゆるお金が動くジャンルで、マイナンバーが使われることになる。

マイナンバー導入によって、収入や資産を把握できる仕組みが整うことになるのだが、把握されて困る人とは、税金をきちんと支払っていない人だという。つまり、あの手この手で脱税をしている富裕層や企業、自営業者などである。課税逃れをしてきた富裕層や企業には打撃が大きいという。<日本は租税特別措置法(国税に関する特例を定めた法律)によって、合法的な“抜け穴”が多い国といわれている。これは個人のみならず、法人も同じである。>日本が米国並みに税金を取れるようになれば、所得税だけで倍になる計算だという。課税逃れの人びとから税金を徴収できるということは、国民にとってありがたいことには違いない。

反対に所得の低い人たちは、マイナンバー導入によるメリットが多いといわれている。金融資産が把握されることで、生活保護が必要な水準の人であれば、より受給がスムーズにいくようになると考えられている。

(元国税調査官大村大次郎のコラムより要約http://diamond.jp/articles/-/80042

現在の政府のセキュリー対策や振り込み詐欺の状況から見ると、マイナンバー制度は危険極まりない。サイバーテロ対策など無きに等しいのではないか。現在の日本政府にそれほどの信頼は置けない。憲法を無視して法律を制定する政治家、今年6月に起きた国民年金機構の約125万件の年金情報流出事件など官僚の安易なデータの取り扱い、本当にデータは安全に管理されるのか、とても任せられないというのが本音である。政府は制度のメリットを説明するよりも、運用のセキュリティー対策、運用者のモラル形成などの信頼を獲得することの方が先決であろう。急いで普及させることはない。諸外国では一般的になっているという理由だけで拙速に進めるべきではない。(実は、海外ではマイナンバー制度をすでに導入している国は多い。たとえばドイツ、米国、スウェーデン、オーストリア、フランスなど。ホテルの部屋に泊まるとき、マイナンバーカードを提示しないと泊まれないという国もある。)すでに民間の会社では、従業員に個人番号カードを作成するようにという指示を出している所さえある。既に混乱は始まっている。しかし開始されてしまった以上、問題点の把握にほとんどの力を割き、制度の廃止も見据えてこの問題に臨むことが大切ではないだろうか。

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2015年9月11日 (金)

安倍政権の積極的国際貢献には、「難民受け入れ」はないらしい。難民を受け入れよう。

<最初に今回の豪雨によって被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。一日も早い再建をお祈りいたします。>

内戦が続くシリアなどを逃れて、西欧諸国で難民申請を目指す人々がハンガリーに殺到しているのが報道されたのが8月31日。トルコの海岸に打ち上げられた、シリア難民の男の子の遺体の画像が世界中に衝撃をもたらしたのが9月4日。今年ハンガリーに流入した移民・難民は15万人以上と昨年全体の3倍超だという。ほとんどの国際列車が発着する首都ブダペストのブダペスト東駅は、経済的により豊かなドイツなどを目指す人々で「難民キャンプ」と化していると伝えられた。

EU各国の首脳は、事態の深刻さを重く受け止め、次々に難民受け入れを表明してきた。日本でも悲劇の報道は連日されたものの、対岸の火事を見るように他人事として扱われていた。日本政府は如何なる対応を取るのかと見つめていたが、なかなか対応策を表明しなかった。

9月7日になって、菅義偉官房長官が記者会見で「現時点で具体的な政策を追加することは考えていない」と述べ、受け入れは考えていないことを表明した。何とも冷たい対応であった。安保法案の説明の時は、「積極的な国際貢献のために必要だ」と述べていたのに、戦争によって祖国を追い出された人にはどうも手を差し伸べるつもりがないらしい。それどころか日本では、法務省が審査をさらに厳しくする制度見直しを検討しており、国際世論の高まりと逆行する格好になっているという。

ロイター通信は9日、「欧州は難民に扉を開き 日本はさらに厳格に」と題する記事を配信。昨年の日本の難民認定数が5000人の申請者に対しわずか11人だったことを紹介し、法務省が事実上の制度厳格化を検討していると伝えた。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は4日、高所得国でありながら難民受け入れに消極的な国として日本、ロシア、シンガポール、韓国を挙げている。【毎日新聞2015/9/11】

難民の人々が日本社会に溶け込むのが難しいということが大きな理由だと思われるが、このような発想は自国中心の鎖国思想である。このような考えをしている限り、いくら積極的な国際貢献と叫んでも、所詮都合のよい耳障りのいい援助しかできないだろう。世界の人々から見下されるのは時間の問題である。

難民を受け入れるという姿勢を示すということは、世界の現状を心から憂えていることの表明であり、難民の人々の置かれている過酷な現実に同じ人間として心を悼めるという崇高な行いである。この姿勢が世界の人々の共感を呼ぶのだということを考えてほしい。

さらに、難民の人々を受け入れるということは、受け入れ直後の適応に困難を伴うものの、難民の人々の持つ外部の血が日本に活力をもたらしてくれるという意義がある。今日本では、混血の人々の活躍が目につき始めているが、日本再生はこうした外部の血を受け入れることによって進展することに気付いてほしい。人類歴史が示している教訓は、一民族が単独で繁栄するのは短期間にすぎない。長期の繁栄には、他民族との融和結合を図ることが肝要であるという教訓である。(このことについては、2009年7月27日ブログ「日本の未来を照らす3つの指針・・・④日本の融和精神が世界を一つにする鍵となる。」において記した有名な古代ローマのクラウディウス帝の演説を参照してほしい。)

自分の国だけを考える国に未来はない。日本でも難民を受け入れよう」という声を上げてほしい。難民を保護することは〈国際法上の「義務」〉だが、義務として受け入れるだけでなく、互いの絆を深めるために受け入れてほしい。日本政府の態度を見ていると、そうした意識は見えてこない。いや、それどころか日本政府が考える「人道的支援」「国際貢献」というもの自体が何ともお粗末なものに見えてくるから不思議である。

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